このブログでは木下街道沿いの史跡や石造物等を紹介しています。

木下河岸からスタートして鎌ケ谷方面に向かって順番に紹介し、白井地区にある白井第一小学校の木造校舎のところまできましたが、神々廻地区の庚申塔が抜けていましたので、今回紹介します。おそらく、また進んだ後に戻ることもあるとは思いますのであしからず。

十余一地区から神々廻地区にかけて台地の上を直線的に通っていた木下街道は、一度坂を下って神崎川を渡り、白井地区に入って白井宿を通過しながら坂道を登って再び台地の上を進むことになりますが、今回紹介する庚申塔群は、ちょうど台地と坂道との傾斜変換点付近に位置しています。木下街道からですと若干林の中に入りますので見逃さないように注意しましょう。

この場所には庚申塔が8基並んでいて、年代は古い順に宝永3(1706)年、延享3(1746)年、宝暦5(1755)年、享和3(1803)年、嘉永3(1850)年、明治12(1879)年、昭和4(1929)年、平成6(1994)年と、江戸時代中期から平成までと幅が広いことと、もう一つ大きな特徴として石塔の正面が赤く塗られていることです。神々廻地区には他の場所にも庚申塔は建っていますが、赤く塗られているのはここだけだと思います。

赤く塗られた庚申塔は、他には同じく木下街道沿いにある印西市浦部の百庚申がよく知られています。「赤」は一説には「疱瘡除け」とされ、利根川下流域の疱瘡信仰を調査された榎本正三氏が「疱瘡を軽くすませるためには、赤は絶対の必要条件になっていたことがわかる。」(榎本1989)と記述するように、疱瘡と「赤」は結び付くようです。

疱瘡神は白井市内にも複数あり、石塔の前に赤い幣束が設置されている事例等もありますので、また別の機会に紹介しましょう。

 

【引用・参考文献】

榎本正三 1989『赤の民俗-利根川流域の疱瘡神-』 崙書房

森耕一他 1989『白井町石造物調査報告書』第4集 白井町教育委員会

※『白井町石造物調査報告書』第4集は刊行年が平成元年のため、平成6年造立の庚申塔は掲載されていません

 

庚申塔群(全体)

 

:宝永3年 :延享3年

 

:宝暦5年 :平成6年