暑過ぎて
どこへも行けんわ~
したがって今回も「昔撮った杵柄」のご紹介となります。。
姉川の戦い
は、近年では横山城を囲む織田軍をめがけ、浅井・朝倉軍が乾坤一擲の奇襲をしかけた合戦だ、という認識が一般的だ。
また、姉川合戦という呼称は徳川家康が使った言い方で、当事者らは「野村合戦」と言っていたようである。
↓血原と三田村氏館

まずは血原公園という場所。ここに車
を停められてトイレもある。
いきなり説明板を撮ってるが、他に何も無かったのだろうか
血原は徳川vs朝倉の激戦地となった所で、三田村(さんだむら)氏館とは朝倉軍が本陣を置いた場所。
三田村氏館はここからそう離れてないはず、行けばよかったにィ
↓姉川古戦場碑

ほど近くにある姉川古戦場碑(血原塚)。
さすがにここは外さなかったか。
↓姉川古戦場碑_拡大

※ ※ ※ ※ ※
↓姉川古戦場_看板

東に向かって草むらの中の道を300m位歩くと、このような看板がある(2017年頃に訪れたので、状況は変わってるかも)。
上の木は桜並木
で、春にはそれは綺麗なことだろう。
↓姉川戦死者之碑

その看板の裏手へ上がると、姉川戦死者之碑がある。
が、どうやら石碑の表側を見れてないようやな。
↓姉川古戦場_説明

この一帯では織田vs浅井軍の激突があった。
↓姉川古戦場_地図

地図部分拡大。
大規模な戦場跡って結構広いはずなのに、歩いた感じでは意外と史跡はコンパクトに収まっている。
近年言われているように、やはり限定的な戦闘だったのだろうか。
↓姉川古戦場跡

龍ヶ鼻(山の裾野が竜の鼻先のような形状をしている事からこう呼んだ)を撮ったものか。やるやん、当時のオレ。
↓野村橋

惜しい
肝心の「姉川」という川をレンズに捉えるべきやろ~。どこやねん、かわ。
↓茶臼山古墳

車を動かして、この付近にいた農作業してる方に聞いて、少しの間停めていいとの事で散策再開。
龍ヶ鼻の先端は茶臼山古墳いう古墳で、横山城攻めではここに織田信長本陣が置かれた。
↓茶臼山古墳_石碑

↓龍ヶ鼻の曲輪群

古墳の中には入れず。
↓遠藤直経の墓_遠景

茶臼山の信長本陣から数十m。
だだっ広い田園風景のなかに、それはある。
↓遠藤直経の墓

浅井方の武将・遠藤直経の墓。遠藤塚である。
彼の討死した場所と伝わる。
彼は味方の三田村左衛門の首を掲げ、織田軍を装って織田軍本陣に侵入。信長誅殺を試みたが、あと少しというところで竹中重矩に見破られ、討ち取られた(太閤記など二次資料の記載内容だが)。
「キングダム」で桓騎がこの作戦やって成功させてたな。あれ見たとき遠藤直経のこと思い出したわ。
↓遠藤直経の墓_説明

↓遠藤直経墓と龍ヶ鼻

遠藤塚は、陣杭の柳(浅井軍を迎え撃つのに信長が本陣に決めた場所)より南に数十mにある。
これは戦い序盤戦で浅井方が織田の13段の備えのうち11段までを突破した(嘘くさ~!)とき、信長が本陣を約1km後退させたから。と、位置関係からは辻褄が合っている。
↓龍鼻之郷_石碑

↓4代目陣杭の柳

陣杭(じんご)の柳は信長が本陣を置いた場所。茶臼山の陣からわずか数十m西に、遠藤塚からは北に数十mに位置する。
↓陣杭の柳_説明

探索が甘いな~、この頃の自分。。
家康本陣跡とか、もっと色々あるはずやけどな~