長浜駅を通り抜け、商店街のある東側へ移動。
↓山内一豊と千代モニュメント

マンションの前にある目立たないモニュメント、山内一豊屋敷跡。
像はシルエット調だが、一豊とその妻・千代の仲睦まじい様子
を表現したものか。

↓山内伊右衛門一豊屋敷跡碑

通り沿いには石碑も。秀吉入城時の一豊の屋敷が、ここにあったらしい。とゆーことは、ここがいわゆる″功名が辻″って事かい

のちには城主になったんやから、もっと主張していい史跡やと思う。一豊像を造るとか。
↓秀吉と三成出逢いの像

長浜駅前。ここにあるのが、
秀吉公と三成公 出逢いの像。
↓秀吉と三成出逢いの像_説明

いやいや、法華寺って。
ここから北へ○kmぐらい離れてるし

まぁ同じ長浜市内ではあるけども。。

おいおい、城主様やぞ。立たしとくんかい

ぷにゅたの中では、秀吉は座っているイメージやけど。

この有名な三献の茶エピソード、実際に社長に対し実践した人いたらしい。そしたら中途採用で即、主任になれたらしいで。ホンマかどうか知らんけど。
↓長浜城家臣団屋敷碑

説明のみで写っていないが、この右隣に長濱の地名起源歌碑というのがある。
竹中半兵衛が詠んだ歌で、「君が代も 我が代も共に 長濱の 真砂のか須(ず)の つき屋(や)らぬまで」
とある。

↓豊国神社_鳥居

豊国(ほうこく)神社
は1600年創建。

1793年に再興された。
↓手水

秀吉の馬印・瓢箪(ひょうたん)が手水舎(ちょうずや)についている。
↓豊国神社_本社

この奥にある本殿は江戸時代中期のものだが、見えない。拝殿は1898年の築。
↓秀吉公座像と稲荷社

ここに秀吉像あるって知らんかった



2023年、長浜開町450年記念事業の一環として、クラウドファンディングなど広く寄付を募り設置された。
秀吉が長浜を治めた37歳頃をイメージして造られたそうだ。
↓秀吉公座像と本社

奥の本殿には、恵比須神と豊国大明神が一緒に祀られている。これは、江戸時代に策を講じて恵比須宮として建設したため。
↓豊国神社_説明

お読み下さい。
↓虎石

境内にある虎石。これは

↓虎石の由来

加藤清正こと虎之介が、城内の庭に献じた石。なるほど、それで「虎石」か。
↓加藤清正公像

お目当ての加藤清正公像だが、逆光バリバリ
で残念な写りになってしまった


長浜神社では秀吉のほか、加藤清正、木村重成も合わせて祀っている。
↓加藤清正公像_拡大

なので墨部を明るくする色補正。
兜ながっ
コックかよ。

長烏帽子(ながえぼし)兜に十文字槍。
台座が高いうえに槍が長すぎて、槍の先端まで写せないよ~ん。

↓清正公銅像再建略記

戦前に造られたが、戦時中に金属供出されてしまい、台座のみ残されていた。
昭和56年に像が再建された。
↓黒壁スクエア

黒壁スクエアとは、北国街道沿いに続く古い町並みの一角にある、旧黒壁銀行(愛称)を中心とした黒っぽい店舗群の事。
昭和時代末期には寂れた商店街となっていたが、今やこの盛況ぶり。
まちづくりの成功事例として全国のモデルケースとなっている。
↓米川

米川。
長浜のまちなかをジグザグ
に流れる。こう見えてなんと一級河川である。

長浜城の外堀の役割を果たした。
つづく。。。