2回目のワクチン接種を終え、感染者の推移に注意を払いつつ、満を持して超久々の遠出だ。。
(訪問は2021年10月)
↓ワイドビューひだ号
大阪発は一日一本のワイドビューひだ。これを使って岐阜日帰り旅行を企画。
↓黄金の信長像
着いた。駅ロータリーにある黄金の信長像。デカい。
ナンセンスな事にマスクさせているので、これ以上近づいても。。
銅像にマスクハメても意味は無いで。いい加減外してくれんもんか
↓岐阜バスのラッピング
「ぎふ登城きっぷ」は、岐阜バス1日乗車券と金華山ロープウェー往復乗車券、岐阜城入場券がセットになってて1400円。
ロータリーできっぷを購入し、バス乗り場を確認しながらも、撮影の手は止まらない。
漫画で美男子風の信長と、岐阜城が描かれたバスだ。
↓円徳寺_遠望
まずはいったん金宝町というバス停で降りて、円徳寺へ。
1183年に前身が創建されたという、由緒あるお寺。
↓円徳寺_説明
永禄10年織田信長発給の楽市楽座の制札(重文)ほかを所有している。
説明文に「池田輝政の制札」とあるが「池田元助(恒興の長男で輝政の兄。長久手で戦死)」の誤りだろ。
境内には織田塚、織田秀信の髪の毛の塚、信長が寄進した鐘などがある。見ていこう。
↓織田塚(円徳寺)
まずは織田塚。
信長の父・信秀が稲葉山城の斉藤道三を攻め(井ノ口の戦い)、大敗を喫した様子は大河ドラマ「麒麟がくる」でも描かれた。弟の信康(犬山城築城主)ほか、多くの戦死者(一説には5千人
)を出し、信秀自身も負傷した(その傷が因で死んだとも)。
↓織田塚_説明
織田塚は2ヶ所あり、円徳寺にある塚は以前東方にあったものを改装し、碑を建てたもの。
↓織田秀信公かみきり塚
織田塚の右隣にある「織田秀信公髪切塚」。
織田秀信は信長の孫の三法師のこと。ひいおじいちゃんの「信秀」と混同注意。
岐阜城主だった関ヶ原の戦い前哨戦で東軍に攻められ敗北、開城。
高野山で蟄居(ちっきょ)させるため、浄泉坊(円徳寺の前身)で剃髪した記録が残っている。
↓信長寄進の梵鐘
信長が斎藤龍興を攻めた時に使ったとされる陣鐘で、1564(永禄7)年に信長が寄進したとされる。
・・・ホンマかいな。。
余談だが、円徳寺では以前、ちょっと残念な事があったようだ。。
まぁ過去の事だし・・・ね。でも記事の見出しが最高傑作なんですけど(笑。。
興味ある方のみ→こちら
↓織田塚(霞町)外観
円徳寺から歩いて5分の所にある、もうひとつの織田塚(霞町)。
知っていないと見落としそうな場所にある。
「麒麟がくる」ラスト2分の紀行でも紹介された。
↓織田塚(霞町)
扉の奥を覗くと、こんな感じ。
井ノ口(加納口)の戦いがあったのは、天文13年説、天文16年説などがある。
多くの亡骸があったため、一箇所では済まなかった、という事なのか。
↓金華山
徹明町いうバス停から、再び岐阜城へ向かうバスに乗る。
バスは連続で来る場合、先の1本をスルーして後ろのバスに乗るのがベスト。
先のは市役所経由で迂回するため。観光客に優しくない仕組み。
* * * *
ぷにゅた:「このバス、岐阜城へ行きますか」
運転手:「行くけど、後ろから来てるバスに乗った方が早いよ」
慌てて飛び降り、すぐ後ろのに乗ろうとするも、後ろのはすでに前のバスをここで追越す体勢。突然現れた乗客に気付いてくれない。そのまま両方、立ち去ってしまったのであった・・・
ぷにゅた「・・・。」ポツーーン。
10分後、ようやく来たバスに乗ると、迂回し始めた。そう、結局は迂回したのだ。
こんなことなら、最初来たバスに乗ったら良かった。。
ここで、ようやくダイヤの仕組みを理解した。
初めて来て、誰がわかんねん
スケジュール一杯あんのに、15分のロス。。
* * * *
↓斎藤道三・義龍像
しかし、まだ岐阜公園には向かわない。
本町一丁目いうバス停で降り、常在寺へ。
↓常在寺
斎藤家菩提所の常在寺。所蔵の
絹本著色斎藤道三像
絹本著色斎藤義龍像(いずれも重文)は、それぞれ、濃姫、龍興より寄進されたとされる。
↓斎藤道三の墓
法事中との事で、拝観は叶わず。
境内にある斎藤道三供養塔は、すぐにわかった。お参りしとこう。
右脇の石柱に「稲葉山故城主 斎藤道三墓」、
墓碑の左やや下にも「道三大居士」と読める。
↓妙照寺山門
常在寺の向かいにある妙照寺へ。
伝・岐阜城移築門、とのことだが詳しい情報が出てこなかった。
何でも、松尾芭蕉ゆかりのお寺とかなんとか。
↓正法寺
さらに、道曲がってすぐの正法寺へ。ここに岐阜大仏なるものがあるらしい。
ついでに見て行こう。
大仏殿の立派なこと、お城に見えなくもない。
↓岐阜大仏
おおご立派
。ありがたや~。。
日本三大佛といえば、奈良、鎌倉、ホニャララ。
ホニャララを巡って高岡、兵庫、岐阜などが自称している現状だ。
なお、左右の壁には、五百羅漢像などもある(写真は割愛)。
↓岐阜公園のコスモス
正法寺から少し歩いて、さあ、やっと岐阜公園内に入ってきた。
あ、ちょうちょコスモス畑にとまるアカタテハ。
↓菊人形(物見兵)
うぬぅ岐阜城へは通せぬと申すか
と思ったら、菊人形の展示物のひとつ。
↓菊人形(信長と濃姫)
あ、お館様、見~っけ
ご内室もここにおられましたか。
↓信長と濃姫_拡大
菊人形展なんて知らなかったから、得した気分だ。
それにしてもよくできてるな~。
↓山内一豊と千代_婚礼の地碑
ロープウェー乗り場まであと少し。
なにゆえここに来ての“一豊と千代”推し
さては大河ドラマの時、造ったな
↓岐阜公園三重塔
金華山の西麓で、ひときわ存在感を放つ三重塔。
大正天皇の即位を祝う御大典記念事業の一環。
市民から寄付を募り、大正6年に岐阜市が建立。
国有形登録文化財。
平成29年、修復工事が完了。
↓信長居館跡
ロープウェーの時間まで少しあるな、
よし、この間に乗り場の裏手にある山麓の居館跡をザッと見学するとしよう。
つづく。。。