最近、すっかり墓マイラーとなっているぷにゅた。。
1回目の緊急事態宣言が解除の見通しとなり、
姫路城では天守近辺内部・百間廊下内部以外の入場が可能となった。。
天守修復工事も終え、外国人観光客もいない今がチャンス
とばかり、ぷにゅたは久々に城攻めを敢行したのであった。。
↓展望台キャッスルビューから見る姫路城
大手前通りが広いおかげで、姫路駅の展望デッキ(2階)からすでに見える姫路城。
デカいので、すぐ近くにあるように錯覚しがち。。まだ距離はある。
↓土塁跡
本町通り商店街入口横に残る土塁跡。
この土塁は十二所前線(写真の道)に沿って東西に長く続く。
↓イーグレひめじ屋上から見る姫路城
姫路城の大手門のすぐ外にある「イーグレひめじ」の屋上展望台より。
有名な撮影スポットらしい。
左側の多聞櫓で囲まれたエリアが、西の丸だ。
↓イーグレひめじから_拡大
少し拡大。ちょうどいい距離感だ。
天守の左にある、三階建てのは「西小天守」だ。
↓大手前通りから
大手前公園に降りてきた。
もうすぐ大手門だというのに、天守がなかなか大きく見えてこない。
不思議だ。
↓ツバメの巣が
大手前公園でトイレを済ませておこう、
ん頭上に何か通った気配が
・・・あ
ツバメの巣やん。
雛がおって口をあんぐり。。親鳥がトイレから出たり入ったりして餌を与えていた。
親鳥を撮ろうにも、飛ぶスピードがあまりに速すぎて・・・
雨を凌げてドアもない。いい場所見つけたなー。。
枡形虎口(トイレの入口)さえ突破できれば、いうことなしかも。。
↓桜門橋
本題に戻る。。
この桜門橋を渡れば、その先にはもう大手門が。
桜門橋は平成19年の復元だ。
↓桜門橋から見る内堀_東側
本丸、二の丸、西の丸などはこの内堀によって守られている(内曲輪)。
堀の水は、船場川から取水している。
↓桜門橋から見る内堀_西側
かつて、門のすぐ脇(写真手前)には三重櫓が、写真奥の出っ張った石垣の上には「れの櫓」が建っていた。
↓史蹟姫路城_石碑
- 昭和6年、国宝に指定
- 太平洋戦争での空襲
を免れる
- 昭和25年、重要文化財に指定
- 平成5年、世界遺産に登録
↓大手門(裏)
昭和13年に造られた高麗門形式の大手門。江戸時代のものとは全く異なる。
手前の橋が「桜門橋」だから、てっきり「桜門」という名前かと・・・
どちらでもいいみたいだけどね。
ここから先はいよいよ世界遺産の領域だ。
↓三の丸と天守
↓三の丸より_拡大
晴天に恵まれた。
↓千姫ぼたん園から見る天守
三の丸の西にある千姫ぼたん園へ。
南端にある土塁状の高台へ登って樹木の隙間から1枚。
穴場なスポットかもしれない。
↓ワの櫓とカの櫓を見上げる
ぼたん園の北端まで来た。西の丸の南端石垣がそびえ立つ。
左が「ワの櫓」。百間廊下の入口となっている。
右が「カの櫓」。
↓入城口近辺から見る天守
いよいよ入城する。入城料金は大人1000円。
↓菱の門
まず巨大で華麗な「菱の門」がお出迎え。
もちろん枡形の造りとなっている。
三方向から撃ちまくられる事間違いない。。
門櫓の表面は、白漆喰(しっくい)の真壁(しんかべ)造り(柱や長押の形が浮き出る工法)。
↓菱の門_正面
築城当時の現存で、もちろん重要文化財。
2階には三種類の窓があって、格子窓、華燈(かとう)窓(=いずれも黒漆塗りに金の飾り金具で装飾している)一番右は出格子窓。
↓菱の門と天守
城内のどこにいても、天守の存在感ハンパないって。。
北西面にある乾(いぬい)小天守も見えた。
↓百間廊下(長局)
菱の門をくぐると、感染拡大防止の観点からか、順路はまっすぐ「いの門」ではなく、左旋回する感じで西の丸へ向かうようになっていた。
西の丸は鷺山を削って平地とし、姫路城の弱点である西側を補うため、本多氏時代に整備されたエリア。
多聞櫓がぐるりと西の丸をほぼ1周囲んでいる。
↓ルの櫓
多聞櫓の中は廊下となっており、人が通れるし千姫の侍女らが住んでいた。
百間廊下が折れ曲がっている地点。
残念ながら感染拡大防止の観点から、この時期は廊下内部の観覧はできなかった
↓化粧櫓附近から見る天守
化粧櫓の写真、撮ってないんかい
とにかく、天守ばかりが気になってしょうがない。。
その2へ続く。。