姫路城!!!~その1./4回 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

最近、すっかり墓マイラーお願いとなっているぷにゅた。。

 

1回目の緊急事態宣言注意が解除の見通しとなり

姫路城では天守近辺内部・百間廊下内部以外の入場が可能となった。。

 

天守修復工事も終え、外国人観光客もいない今がチャンスビックリマークニヒヒ

とばかり、ぷにゅたは久々に城攻めを敢行したのであった。。

 

↓展望台キャッスルビューから見る姫路城

展望台キャッスルビューから見る姫路城

大手前通りが広いおかげで、姫路駅の展望デッキ(2階)からすでに見える姫路城。

デカいので、すぐ近くにあるように錯覚しがち。。まだ距離はある。

 

↓土塁跡

土塁跡

本町通り商店街入口横に残る土塁跡。

この土塁は十二所前線(写真の道)に沿って東西に長く続く。

 

↓イーグレひめじ屋上から見る姫路城

イーグレひめじ屋上から見る姫路城

姫路城の大手門のすぐ外にある「イーグレひめじ」の屋上展望台より。

有名な撮影スポットカメラらしい。

左側の多聞櫓で囲まれたエリアが、西の丸だ。

 

↓イーグレひめじから_拡大

イーグレひめじから_拡大

少し拡大サーチ。ちょうどいい距離感だ。

天守の左にある、三階建てのは「西小天守」だ。

 

↓大手前通りから

大手前通りから

大手前公園に降りてきた。

もうすぐ大手門だというのに、天守がなかなか大きく見えてこない。

不思議だ。

 

↓ツバメの巣が

ツバメの巣が

大手前公園でトイレトイレを済ませておこう、

はてなマーク頭上に何か通った気配がはてなマーク・・・あビックリマークツバメの巣やん。

 

雛がおって口をあんぐり。。親鳥がトイレから出たり入ったりして餌を与えていた。

親鳥を撮ろうにも、飛ぶスピードがあまりに速すぎて・・・

 

雨を凌げてドアもない。いい場所見つけたなー。。ニコニコ

枡形虎口(トイレの入口)さえ突破できれば、いうことなしかも。。

 

↓桜門橋

桜門橋

本題に戻る。。

この桜門橋を渡れば、その先にはもう大手門が。

桜門橋は平成19年の復元だ。

 

↓桜門橋から見る内堀_東側

桜門橋から見る内堀_東側

本丸、二の丸、西の丸などはこの内堀によって守られている(内曲輪)。

堀の水スライムは、船場川から取水している。

 

↓桜門橋から見る内堀_西側

桜門橋から見る内堀_西側

かつて、門のすぐ脇(写真手前)には三重櫓が、写真奥の出っ張った石垣の上には「れの櫓」が建っていた。

 

↓史蹟姫路城_石碑

史蹟姫路城_石碑

  • 昭和6年、国宝に指定
  • 太平洋戦争での空襲メラメラを免れる
  • 昭和25年、重要文化財に指定
  • 平成5年、世界遺産に登録

 

↓大手門(裏)

大手門(裏)

昭和13年に造られた高麗門形式の大手門。江戸時代のものとは全く異なる。

手前の橋が「桜門橋」だから、てっきり「桜門」という名前かと・・・

どちらでもいいみたいだけどねてへぺろ

 

ここから先はいよいよ世界遺産の領域だ。

 

↓三の丸と天守

三の丸と天守

 

↓三の丸より_拡大

三の丸より_拡大

晴天に恵まれた。

 

↓千姫ぼたん園から見る天守

千姫ぼたん園から見る天守

三の丸の西にある千姫ぼたん園へ。

南端にある土塁状の高台へ登って樹木霧の隙間から1枚。

穴場なスポットかもしれない。

 

↓ワの櫓とカの櫓を見上げる

ワの櫓とカの櫓を見上げる

ぼたん園の北端まで来た。西の丸の南端石垣がそびえ立つ。

左が「ワの櫓」。百間廊下の入口となっている。

右が「カの櫓」。

 

↓入城口近辺から見る天守

入城口近辺から見る天守

いよいよ入城する。チケット入城料金は大人1000円。

 

↓菱の門

菱の門

まず巨大で華麗な「菱の門」がお出迎え。

もちろん枡形の造りとなっている。

三方向から撃ちまくられる銃事間違いない。。

 

門櫓の表面は、白漆喰(しっくい)の真壁(しんかべ)造り(柱や長押の形が浮き出る工法)。

 

↓菱の門_正面

菱の門_正面

築城当時の現存で、もちろん重要文化財。
2階には三種類の窓があって、格子窓、華燈(かとう)窓(=いずれも黒漆塗りに金の飾り金具で装飾している)一番右は出格子窓。

 

↓菱の門と天守

菱の門と天守

城内のどこにいても、天守の存在感ハンパないって。。

北西面にある乾(いぬい)小天守も見えた。

 

↓百間廊下(長局)

百間廊下(長局)

菱の門をくぐると、感染拡大防止の観点からか、順路はまっすぐ「いの門」ではなく、左旋回する感じで西の丸へ向かうようになっていた。

 

西の丸は鷺山を削って平地とし、姫路城の弱点である西側を補うため、本多氏時代に整備されたエリア。

多聞櫓がぐるりと西の丸をほぼ1周囲んでいる。

 

↓ルの櫓

ルの櫓

多聞櫓の中は廊下となっており、人が通れるし千姫の侍女らが住んでいた。

百間廊下が折れ曲がっている地点。

 

残念ながら感染拡大ゲホゲホ防止の観点から、この時期は廊下内部の観覧はできなかったえーん

 

↓化粧櫓附近から見る天守

化粧櫓附近から見る天守

化粧櫓の写真、撮ってないんかいビックリマークゲッソリ

とにかく、天守ばかりが気になってしょうがない。。

 

 

 

その2へ続く。。