前編ではとにかく模擬天守に目がいき、写真
を撮りまくってしまった。
後編ではいよいよ本丸内部へ侵入、残りの遺構を見て回ろう。
↓天守、南虎口を本丸内より
本丸内に入り、振り返るの絵。
入口を固める櫓が建つべき場所に天守があるのは、やはり自然では無い。
しかし、南側に堀が残っているので、堀越しの勇姿が見られるという点で正解かも。
右の櫓台は現存石垣で、櫓に登るための階段もついている。
が、柵で囲われており登る事はできない。
↓富山城址公園案内図
なぜか北が右の地図。公園内にこれといったものはあまり無さそうだ。。
そのまま北へ進むと前田正甫さんとやらの像が建つ。
そこから東に曲がって東出丸虎口南の現存石垣を見てから、千歳御門を見に行こうかな。
↓本丸
公園はかつての本丸と西ノ丸を合体させているので、広い。
かつては堀を隔てて西ノ丸があったようだが、堀は埋め立てられた。
↓富山市郷土博物館_説明
前田正甫像の前に、天守内を見学しようっと。
前情報によると、展示物は充実しているらしい。楽しみだ~。
ところが・・・
・・・え休館日
・・・ガッデム
聞いてないよ~~っ
時はゴールデンウィーク明けの平日、展示替えのため休館だって。
そんなのないよwww。。。びえん通り越してぱおん
なんだけど。。。
↓前田正甫像
気を取り直して・・・
富山藩第二代藩主・前田正甫(まさとし)の像。初代藩主・利次の子。
富山といえば薬売りが有名だが、彼こそが薬を諸国に行商に売り歩く事を広めた人物だ、といわれている。
なお正甫が常備していたという薬・反魂丹(はんごんたん)の名前の由来は「死者の魂を呼び戻す」。
すごい名前をつけたものだ。
↓天守を前田正甫像前より
ここからでは庭園の木が邪魔をして、なかば隠れてしまっている。
角度が甘かったか。
↓東出丸虎口
外へ出て城内を振り返った。ここには東出丸へ通じる門があった。
今立っている場所は元々堀で、その上に土橋が架かっていたか。
左手の石垣は現存だが、右手は斜めに積んでいるので新しいものだろう。
↓佐藤記念美術館
東出丸虎口の左手石垣沿いに「三層望楼型天守」風の建物がある。
富山郷土博物館(模擬天守)と一体で富山市が運営している「佐藤記念美術館」との事。
砺波市出身の実業家で、茶人であった故佐藤助九郎が収集した作品を中心に、 日本の近世絵画や工芸品、東南アジアの陶磁器など、主に東洋の古美術を展示。
現在ではカフェも併設されている。
意匠を城に合わせている、なんてレベルでは無く、薄汚れた感じとか実に良きっ
模擬天守以上に隠れ名城ではなかろうかと、思ったのはわたしだけ
土台となっている石垣とかも現存かも知れない。。もっとじっくり見ておけばよかった。
↓東出丸虎口の南の石垣(現存)
東出丸虎口の南にある千歳御門との間の石垣は、現存で間違いない。
切り出した石を荒々しく組んだ感じの野面積み。
高石垣では無いのでこれで十分だろう、という感じ。
↓東出丸虎口の南の石垣(拡大)
よく見ると丸いままの石も組み込まれている。元は何かに使われていた石だろうか
↓千歳御門(埋門)
城外から石垣を見ながら南下すると間もなく「千歳御門」がある入口に着いた。
江戸後期に建てられた千歳御殿(ここから約100m東にあった)の正門だった。
別の場所に移築保存されていたため、昭和20年の富山大空襲から逃れた。
近年ここに再移築したもので、当時ここに入口は無かった。
↓千歳御門_説明
三間薬医門(やくいもん)、切妻造り本瓦葺の屋根、赤い姿、といえば東大の赤門が有名だが、こっちの方が幅が広いか。
貴重な江戸時代の遺構だ。
↓千歳御門外から見た富山城
門から覗き見る富山城は、映えるスポットとして有名(たぶん)だ。
↓千歳御門(本丸内より)
さっきは逆光でわかりづらかったが、城内から見ると赤い門、というのがよくわかった。
おわり。。