新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

その1.で、2つの銅像を見て大手門から入城。ようやく二之丸下の段にいる。

↓中曲輪石垣
二之丸上の段石垣
視線を左に移すと、中曲輪の石垣。

松江城の石垣では、矢田石(安山岩か)・忌部石など地元で産出したものが使われる。

↓本坂
本坂
ここから本丸へ至る石段の坂を、本坂とよぶ。側面は見ての通り、石垣で補強している。

↓太鼓櫓
太鼓櫓
では本坂を上がって行こう。
左手頭上には、太鼓櫓が。石落しも備えている。

ハート石ドキドキは見逃したわー。。

↓番所?櫓台
番所?櫓台
石段の途中、右手にある石垣。ここにも何か櫓的な建物があったのだろうかはてなマーク

↓二之丸下の段を見下ろす
二之丸下の段を見下ろす
その櫓台の上から、先ほどの二之丸下の段を見下ろした。やはり広い。

何やら排水溝のようなものと、区画を仕切る塀の土台?のようなものが見えた。

↓天守を見上げる
天守を見上げる
中曲輪の通路の外側の、木が鬱蒼としたエリア霧から見た天守。

ここは角度も良く、穴場の撮影スポットキラキラかもしれない。

↓三ノ門跡
三ノ門跡
本坂を登り切って三ノ門跡
本丸石垣は野面積み

左奥へ行くと天守入口だが、少し右へ寄り道してみよう。

↓武具櫓台
武具櫓台
本丸防衛の要ともいうべき武具櫓台。名前の通り武具などを保管したようだ。

石垣は野面積みと紹介されるが、表面は割りとフラットなので打込み接ぎかと思た。
積んだ後に表面だけ均したのか、それとも復元だから綺麗なのか。

↓中曲輪より天守を見上げる
二之丸上の段より天守を見上げる
中曲輪の通路より。先ほどとは少し角度が違う。

↓腰曲輪跡
補強の石垣か
ここと本丸との中間に、腰曲輪という空間があるが、現在は登れない。

ここの石垣は、天守の重みを支える本丸石垣を補強する役割もあったのではなかろうか。

↓天守を真下より
天守を真下より
望楼型というのがよく判る角度。
入母屋破風富士山が城に雄大なイメージを加える。

↓天守を真下より_拡大
天守を真下より_拡大
横に広い。それもそのはず、総床面積は姫路城に次いで2番目の広さ。

破風に架かる懸魚(げぎょ)は繊細である。

外壁は大部分が黒下見板張り。また、攻め手に気付かれないよう、二重目に石落しがある(屋根と屋根の間)。

↓祈祷櫓台
祈祷櫓台
こちらはなだらかな傾斜だが、隅部は算木積み。天守や他の建物の重さがあるので、しっかり支えるためだろうか。

この上には全国的に見ても珍しく、祈祷するための櫓お願いがあったという。

左奥は石垣が奥まって(折れがついて)いて、石垣をよじ登ろうとする攻め手に対して横矢をかけれる仕組み。

↓武具櫓台2
武具櫓台2
たいして武具櫓台の方は傾斜が急だ。
算木積が不完全な隅部。こちらからも横矢がかかる。

↓二ノ門跡
二ノ門跡
三ノ門へ戻り、その先の二ノ門へ。

松江神社が見えるがまだ入らず、先に二之丸上の段の櫓群を見に行こうっと。

↓太鼓櫓と控え柱
太鼓櫓と控え柱
太鼓櫓の全体像、撮ってへんやないかいビックリマーク
塀の控え柱を撮ったやつに半分だけ写ってた。

↓太鼓
太鼓
太鼓櫓の中には太鼓が置いてあった。そのまんまやんビックリマーク真新しいけど。

↓太鼓櫓の梁
太鼓櫓の梁
左上矢印方向の長い木が、いい仕事してますね!ウインク

↓太鼓櫓より大手門を見下ろす
太鼓櫓より大手門を見下ろす
おっ、ここからだと大手門櫓二階に登る為の雁木が、よー見えるわーおねがい

↓太鼓櫓より馬溜を見下ろす
太鼓櫓より馬溜を見下ろす
少し右手を見る。最初に通ってきた馬溜跡。奥に大手木戸門跡。

俯瞰で見ると、右折れの枡形だということが解りやすい。茂助もちょっと見えとる。

↓中櫓
中櫓
つづいて中櫓。これも平屋だ。

なお、これらの櫓は平成時代に復元されたものとの事。

↓南櫓
南櫓
南櫓は二重。

↓南櫓の梁
南櫓の梁
南櫓内部。梁に何か書かれてるな。

↓南櫓の階段
南櫓の階段
二階にもあがれる。写真は無い。

↓西南戦争石碑
西南戦争石碑
南櫓の近くにある、西南戦争石碑。島根に何故西南戦争はてなマーク
実は島根県だけで114名もの犠牲者が出たそう(お隣の鳥取でも多数)で、明治21年、当時の県知事の呼びかけで戦死者紀(記)念碑が建てられた。
現在は由来を記したこのまぁるい石碑のみがここに遷され、存在する。

なお、県知事の籠手田安定は、戦国武将・籠手田安経(松浦隆信重臣でキリシタン十字架)らの子孫である。

↓南口門から出たとこ
南口門から出たとこ
南口門からちょっと出たとこ。木陰でいい雰囲気ニヤリだ。

↓南口門跡
南口門
あまり出ずすぐに南口門へ戻る。現在は簡素な冠木門。

↓南口門礎石
南口門礎石
足下を見ると、手前にあるのが、かつての門礎石か。

↓興雲閣
興雲閣
二之丸上の段で異彩を放つ建物、興雲閣
明治天皇行幸の目的で造られた(行幸は結局実現せず)。

現在は内部公開されている。

↓松江神社_鳥居
松江神社_鳥居
二ノ門跡を通って先へ進もう。左手に松江神社神社がある。

↓松江神社_由来
松江神社_由来
明治10年の創建で、明治32年現在地に遷座。

主祭神は松平直政で、東照宮(徳川家康)も合祀する。

↓松江神社_拝殿
松江神社_拝殿
1661年建造の権現造の拝殿。
これと連結する本殿は1628年建造、手水舎(いずれも写真なし)は1639年の建造、先ほどの鳥居も江戸時代のもので、どれも朝酌村にあった東照宮から遷されたものだ。

↓狛犬
狛犬
尻尾が独特プリンな構え型。出雲式の獅子(阿型)。
子供をかかえている。

もっと構えている古いものもあるが、ついつい風化してない綺麗な形のを撮ってしまった。



つづく。。。