~佐和山城歴史~
- 鎌倉時代、佐々木定綱の六男・佐保時綱が麓に砦を築く
- 六角氏時代、代々犬上郡を支配(応仁の乱後、家臣の小川伯耆守を城主とす)
- 戦国時代後半、浅井氏が台頭。佐和山城も支配下となる
- 1535年(天文4)六角定頼、浅井亮政・京極高延を攻め、佐和山城を奪取
- 1552年(天文21)京極高広(高延)、六角義賢を攻め、佐和山城を奪還
- 浅井氏、家臣・磯野員吉を城主とす
- 1571年(元亀2)織田信長に攻められ、磯野員昌(かずまさ)は8ヶ月奮闘するも降伏。以降、織田家臣・丹羽長秀に北近江と若狭が与えられ、佐和山城主に
- 1582年(天正10)本能寺の変
清洲会議の結果、堀秀政が翌年入城(事実上羽柴秀吉政権下の城となる)
- 1585年(天正13)秀吉、家臣・堀尾吉晴を城主とす
- 1591年(天正19)石田三成を城主に。三成、近世城郭に大改修する
- 1600年(慶長5)関ヶ原の戦い
勝利した東軍はすぐさま佐和山城を攻撃(佐和山城の戦い)。留守居の兵のみながら奮闘するも敢えなく落城
- 戦後、徳川家康、家臣・井伊直政を城主とす
- 1606年(慶長11)新たに築城した彦根城が完成。佐和山城は廃城となり、徹底的に破壊される
↓本丸跡
