~宇和島城年表~
- 941年(天慶4)天慶(てんぎょう)の乱に功績のあった警固使・橘遠保(たちばなのとおやす)が居住したとされる
- ~1546年(天文15)土豪の家藤監物(いえふじけんもつ)が板島丸串城におり、大友氏の攻撃を受ける
- 1575年(天正3)西園寺宣久の本城となる
- 1584年(天正12)西園寺公広が長宗我部元親に降る
- 1585年(天正13)秀吉による四国征伐の後、小早川隆景の所領とされ、持田右京が城代となる
- 1587年(天正15)小早川は筑前に転封。戸田勝隆の所領とされ、戸田与左衛門が城代となる
- 1595年(文禄4)藤堂高虎が7万石の領主となる
- 1596年(慶長元)高虎、築城開始。6年かけ完成させる。地名の板島を宇和島に改める
- 1602年(慶長7)藤堂氏、関ヶ原の功により新たに加増された今治を本拠とす。宇和島は藤堂良勝が城代に
- 1608年(慶長13)徳川家康により、富田信高が12万石の領主として入城
- 1614年(慶長19)伊達秀宗が10万石の領主として入城。以降、維新まで伊達氏
- 1666年(寛文6)2代藩主・伊達宗利が現在に残る天守に造り替える
今治から宇和海に乗って宇和島を目指している。
↓吉田湾_車窓より

海が見えたぜぃ
タチウオ、マダイ、メバル、カサゴ
などが釣れるらしーな。知らんけど。
吉田湾では古くから造船業
が盛んである。幕末には宇和島藩が力を入れ、蒸気船建造に成功したとか
↓機関車_復元

うわじま、着いたぜ~ぃ
駅前に何やこれ
↓機関車_説明

なんや、復元か。
かつて宇和島鉄道で活躍した一号型蒸気機関車。鉄道唱歌誕生100周年を記念して、平成12年に造られた。
もう126年経つんやね。
↓辰野川

歩いて宇和島城を目指す。
途中で見かけた辰野川。
宇和島城の北東を沿うように付け替えられ、堀として機能していた。
↓宇和島きさいやロード

地方にしては立派なアーケード商店街。
少し寂しく見えるが、道が広すぎなのとまだ朝方だから、と思いたい。
↓宇和島城_遠望

見えたゾ。待ってろ、宇和島城
標高73mの丘陵上に造られた平山城である。
↓桑折氏武家長屋門

宇和島城の入口。
桑折氏武家長屋門は、元は別の場所にあったが昭和27年ここへ移転。江戸時代後期の築と推測され、宇和島城下で唯一現存する武家長屋門。
↓桑折氏長屋門_説明

↓宇和島城跡散策マップ

スーパー満喫コースで全部まわる。
予定した時間内でいけるだろうか
↓宇和島城_説明

現在の天守は、宇和島藩2代藩主の伊達宗利が1666年頃に建築したものが現存。
↓宇和島城_説明後半

伊達氏とは、あの伊達政宗の長子を祖とする。
「猫御前」の産んだ子ね。。
↓三の丸跡石垣

桑折氏武家長屋門のすぐ後ろにある石垣。
こちらが城の追手側で、この上にあがると登城路となっている。
あがってすぐ、急階段の健脚コースとの分岐点があるが、なだらかコースへ進む。
↓長門丸石垣1

しばらく進むと、長門丸の裏手へ出た。打込み接やね。
↓長門丸石垣2

横に長い。
一枚では収まり切れないほどにね。
↓長門丸石垣_説明

角部が完璧な算木積みなのは、寛文年間に積み直しているから。
↓長門丸石垣3

これの事か。
↓北角矢倉跡石垣

近くに寄ってもう一枚。
↓長門丸

長門丸は遊具広場となっている。
藩主の退屈しのぎに設置したものと考えられる。。んなアホな!
↓宇和島城石碑

宇和島城石碑は長門丸脇にあった。
ちょ、後ろの石垣、高くね
こっちは野面積みで、角も算木積になってない。
↓藤兵衛丸石垣と石段

野面なのに高い
。
石垣の上にあるのは、藤兵衛丸の城山郷土館。
この石段を上がっていくと天守に至る。しかしぷにゅたは右手の薄暗い道へ進み、遠回りする。