玉崎山観明寺(かんみょうじ)は、山号からも想像がつくように、上総国の一宮である玉前(たまさき)神社に隣接する天台宗の寺院です。
これは玉前神社が「平成の大修理」を行っている時の写真ですが、私と美月は毎週末近くのリゾートホテルに通っていたご縁でしばしば参詣させて頂いていました。
2015年9月13日、初めて玉前神社の「上総十二社祭り」(裸祭り)を観た時は、乗馬をやっていたこともあって神馬の勇壮な宮入に吃驚してしまいました。
また九十九里浜(釣ヶ崎海岸)に各社の神輿が集まって海に入る儀式を拝したことが、私と美月にとって後年寺社巡りを始める原点になったのではないかと感謝しています。
思い出の玉前神社についてはまたいつかゆっくりと書きたいと思います。
さて、734年行基開山、慈覚大師円仁中興とされる観明寺は、江戸時代は玉前神社の別当寺を務めるほどの権勢を誇っていたようです。
(千葉県立中央博物館 デシタルミュージアムより)
残念ながら今はその繁栄もすっかり影を潜め、私と美月が玉前神社のついでに参詣した折にはほのぼのとした地元の菩提寺としか思えませんでした。
ただ本堂の欄間に設えられた地獄極楽図(伝:井上円徹作、昭和43年修復)には、その生々しい面白さから美月と大いに盛り上がってしまいました。
彫り自体の表現はデフォルメされているものの、獄卒達がやっていることにはリアルな残酷さがあって感動しました。
しかし当時は恵心僧都源信が書いた『往生要集』など知る由もなく、更にはその居住であった比叡山横川の恵心堂を訪れることになるなど考えもしませんでした。
まだ初級の地獄マニアでした。
また、ご本尊の十一面観音は逆にリアルなお姿で、簡素な光輪を負いながらも気品が溢れ出す見事な彫像でした。
これも仏像好きになった原点かもしれません。
他にも、漁師町故の金毘羅堂や水屋の柱に彫刻された龍など見所はあるのですが、私が最も衝撃を受けたのは境内に置かれた一体の石仏でした。
更に2025年、この観明寺は世間からとんでもない脚光を浴びることになるのです。