オモシロ絵馬(一)【5】不老山 成就院 蛸薬師(東京都目黒区下目黒)No.2 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

ならば蛸が薬師如来と組み合わされた原因は何処にあるのでしょうか?

薬師如来は左手に薬壺(やっこ)を乗せた病苦を救う如来、一方蛸は疲労回復を促すタウリンを豊富に含む食物、どちらも健康回復・増進という共通点はあるかと思います。

梅雨終わり間近の半夏生(はんげしょう)に蛸を食べる習慣があるのは、タウリン由来の疲労回復を期待するからだとされています。

またタウリンには視力の回復効果があり、以下に蛸薬師の縁起を載せていますが、開山した慈覚大師円仁が眼病を患っていたことも関係があるのかもしれません。

これは蛸の栄養成分とは関係ありませんが、懐かしいところで明治時代から腫物の膿を吸い出す家庭薬として『たこの吸出し』(町田製薬)があります。

最近はあまり使われる人もいないかと思いますが、私などは子供の頃から良く腫物が出来たため『たこの吸出し』には大変お世話になりました。

ちなみにこの蛸キャラは、「たこ美&たこ之助」と命名されているそうです。

本題に戻りましょう。

蛸薬師成就院の縁起には次のように書かれています。

「大師(円仁)は若いときから眼病を患い、40歳のとき、自ら薬師さまの小像を刻み、御入唐の時もこれを肌身につけて行かれましたが、お帰りの海路、波風が荒れましたので、その御持仏を海神に献じて、危急をのがれ、無事に筑紫の港に帰り着かれました。

その後大師、諸国巡化のみぎり、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海神にささげられたお薬師さまのお像が、蛸にのって浮かんでおられました。大師は随喜の涙にむせび給い、その後東国をめぐり天安2年(858)目黒の地に来られました時、諸病平癒のためとて、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木にきざみ、護持の小像をその胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来とたたえまつられました。」

さて「薬師が蛸に乗って浮かぶ」記述は荒唐無稽な作り話なようですが、意外と正鵠を得ているのではないかと最近考えるようになりました。

と言うのも、仙台市太白区長町にある蛸薬師堂の由来も、蛸に吸いつけられた薬師像が海から打ち上げられたと言われているからです。

仏像が流れ着く開山由来は多く、浅草の浅草寺は蛸とは関係ありませんが、本尊の聖観世音菩薩は628年に海から漁師が引き揚げたものだと伝わっています。

(京都の有名な蛸薬師堂がある永福寺の縁起は、親孝行な僧侶の話になっており、仏教的な美談にすり替わっているのではないかと思っています)

では何故、蛸が海から小さな薬師如来像を抱えて来るのか・・海釣りをする人なら知っていると思いますが、昔は蛸テンヤと言う小さな木片を使って蛸釣りをしていたのです。

蛸はこの木片をエサだと思って抱きつく習性があり、これが小さな薬師如来像であったとしても否定することは出来ないわけです。

慈覚大師円仁を持ち出すまでもなく、海中から拾い上げられた仏像に蛸がくっついていたのを目の当たりにすれば、蛸を神聖視する可能性はあると思われます。

長くなりましたが、最後に蛸薬師の絵馬をご覧頂きましょう。

上段の絵馬は最初に紹介した奉納絵馬と似た図柄で、きちんと三つ葉葵のご紋まで入ったオモシロ絵馬となっています。

また下段の絵馬は、以前飼っていた猫に似て表情が可愛らしく、私のコレクションの中でも大切な一枚となっています。

世の中の不可思議は数限りなくあるものです。