さて、ここからは観光客が誰も訪れない横浜の日本人墓地の話に移ります。
タイトル通り、阿富貴山(あふきざん)円満寺は西区久保町にある天台宗寺院です。
久保山と聞けば、横浜の港湾部に住む人々は墓地か火葬場を直ぐに連想するでしょう。
明治7年に造成された久保山の公営墓地は、青山霊園、谷中墓地と並ぶ歴史を持つのですが、その異様な外観に訪れた人は驚くのではないかと思います。
蟻地獄のようなすり鉢型をした巨大な窪地一面に無数の墓石が林立しているのです。
古き横浜住民の他、関東大震災で亡くなった3300人の無縁仏と殺された朝鮮人殉難者、そして巣鴨で処刑された東条英機他7名のA級戦犯も久保山で荼毘に付されています。
みなとみらいのランドマークタワーがそびえる横浜の一等地ですが、その坩堝の底には、数え切れない死者達の霊魂が150年の長きにわたって沈殿しているわけです。
私と美月が大好きなコメディアン森川信もここに眠っています。
映画『男はつらいよ』の初代おいちゃんを演じた森川信は、8作目で亡くなってしまいましたが、山田洋次監督は渥美清と唯一張り合えるコメディアンであったと回顧しています。
横浜に60年住んでいると度々久保山にはお世話になります。
現在の久保山斎場は近代的になりましたが、私の祖父を荼毘に付した昭和40年には、まだ火葬炉から煙突が突き出していたと3歳ながらに記憶しています。
祖父を火葬する間、煙突から立ち昇る白煙を父が指さして、「おじいちゃんは煙になって天国へ昇っていくんだよ」と教えられたことが今も鮮明に記憶に焼きついています。
そして母と二人で骨上げした時の焼骨の臭いは、60年経っても忘れられないほどの衝撃を3歳児与えるものだったのでしょう。
幼子であっても、容赦なく死を目の当たりにしていた時代です。
また死んでいった祖父も、身を以って死という現実を子や孫に伝えるのが最期の役目だったのかもしれません。
2023年2月18日、角大師の護符を集めるために私達は久保山を再訪しました。
美月の背後にある斜面は全て墓石で埋められ、何度訪ねてみても、そこは下北半島の恐山に近い異空間としか感じられませんでした。
天台宗円満寺は、平安京に遷都した794年、比叡山延暦寺東塔に創建された安禅院の名籍を、関東大震災の慰霊のため久保山に建てた観音堂に移したところから始まるようです。
ホームページに「天台宗山門派延暦寺末、本山別格の寺院」と書かれている通り、寺務所の方に伺うと「まずは」と何故か延暦寺のお札を頂きました。
また大変親切で優しい寺務員さんで、お供え物を経済的に困っている子供達へお裾分けする活動を円満寺がしていることを教えてくれました。
死者への供物を現世に活かすことは、葬式仏教と化して人心が離れてしまった寺院に、新たな存立意義を再認識して貰う良い試みであると感じました。
そして授与頂いた角大師の護符です。
可愛いお茶目系の角大師護符です。
肋骨が左右非対称であるのは珍しく、角が兜のように非常に長く描かれています。
私のコレクションにおいても、この図案は円満寺唯一であり、おそらく絵心の無い住職が必死で延暦寺の角大師を描き写したのではないかと想像してしまいました。
稚拙かもしれませんが、信心が伝わって来る味わいのある護符だと思っています。
最後に久保山で荼毘に付された父母を・・まだ若い頃の写真ですが、溢れんばかりの愛情を私に注ぎ込んでくれました。
年を取れば取るほど、父母の温情が有難く、ただただ有難く、心に沁みてくるものなのかもしれません(涙)。