仏像を訪ねて(一)【2】弁才天(辯財天)No.1 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

2023年12月17日、『鎌倉江の島七福神』ご朱印集めのために江の島へ行って来ました。

鎌倉の鶴岡八幡宮内には旗上弁財天があり、鎌倉七福神としてはそれで完結しているのですが、何故か弁才天は江島神社も重複参加しており八福神を巡らなければなりません。

江島神社は鎌倉の行事に不可欠なようで、本年10月29日に挙行された北鎌倉円覚寺の「洪鐘祭」(おおがねまつり:60年に一度の祭礼)にも『江の島囃子』で参列していました。

また、テーマ『人間万事塞翁が馬(随筆)【5】藤沢遊行』でご紹介した時宗総本山の遊行寺とも関係が深いようです。

『江嶋縁起絵巻』によると、江島神社の開創には役行者や空海、慈覚大師円仁が関わっており、鎌倉幕府以前から信仰の地となっていたので実はこちらが元祖なのかもしれません。

さて当日、12月にしては異常な暖かさだったため江の島を選んだのですが、海上は寒風吹きすさび地獄のような江の島巡礼となってしまいました。

江の島巡礼の旅は2015年3月28日以降二度目となりますが、相模湾越しに臨む富士山は実に美しく感動せざるを得ません。

今回の旅では江の島名物「江の島エスカー」を使わず、筋力強化も兼ねて自力で登ることにしました。

古典落語を聴いていると、神奈川県伊勢原市の『大山参り』が昔は盛んだったようですが、江の島、金沢八景(横浜市)を巡って江戸へ戻るのがセットだったようです。

江の島と湘南の海は、今も昔も、人々の憧れなのかもしれません。

グルコサミン不足の老骨に鞭打って何とか辺津宮まで登って七福神のご朱印を頂き、2015年以来の奉安殿を再び参拝することにしました。

勿論、中には弁才天二尊が並んで鎮座されています。

向かって左方におわすのが『裸弁天』として有名な琵琶を弾く二臂の弁才天です。

(遊行寺国宝館特別展『江の島』図録より)

これこそ江戸っ子達が江の島まで回訪する原動力となった『裸弁天』なのですが、私も2015年に参詣した際は「おおっ」と声を漏らしてしまったことを覚えています。

奉安殿内には解説録音が常時流されているのですが、「このご尊像は女性の象徴を備えられた大変珍しいお姿で・・」と不可思議な言い方をしていました。

つまり折れ曲がった座布団で隠されていますが、しっかりと陰部まで彫刻されているのだと聞いたことがあります。

しかし今回再訪してみると、老境の私にとっては、『裸弁天』より隣の『八臂弁才天』の方が凛として美しく感銘を受けました。

鎌倉時代初期、源頼朝が奥州藤原氏から強奪したものと言われていますが、2015年参詣では『裸弁天』に夢中で気づかなかった本来の美を改めて感じることが出来ました。

これは物理学ではありませんが、対象は観察する者の影響を受けるのだと実感しました。

さて、弁才天を『仏像を訪ねて』の二番目に掲示したのは、今回の旅を通して、身近で人気がある弁才天にモヤモヤした疑問を抱いたからです。

それは・・「何故、弁才天だけが裸にされてしまったのか?」です。