オモシロ絵馬(一)【1】鬼鎮神社(埼玉県比企郡嵐山町)No.1 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

「オモシロ絵馬」で最初にご紹介するのは鬼鎮(きぢん)神社です。

ブログのタイトル右側に貼った赤鬼と青鬼は、この鬼鎮神社で授与頂いたお御籤(土人形に内蔵)で、何とも鬼らしからぬ愛らしさに惹かれてしまいます。

実は前ブログ『豆々朗師のオモシロ寺社巡り』でも鬼鎮神社を取り上げたのですが、絵馬研究を進める中で誤りを見つけたので、その訂正も含めてのご紹介となります。

2023年9月9日(土)、私は埼玉県比企郡嵐山町に鎮座する鬼鎮神社を訪ねました。

関越自動車道のICやPAで名が知れている嵐山町ですが、そもそもは京都嵐山(あらしやま)に地形が似ていることから武蔵嵐山と命名されたそうです。

しかし嵐山を「RANZAN」と読ませるところに命名者の秀逸なセンスを感じます。

「あらしやま」も趣きがある地名ですが、「RANZAN」と言う漢語的な響きが真言を唱えるような口中快楽を与えてくれるのかもしれません。

それはさておき、鬼鎮神社です。

立地や規模からすると町外れの小さな神社ですが、実はネット上でも数多く取り上げられている玄人筋では有名な神社なのです。

お目当てはもちろんこの赤鬼・青鬼キャラです。

平成四年に氏子総代一同が奉納した扁額絵馬ですが、この下手糞な描き方は、平安時代から続く絵馬の歴史を覆すような傑作と言わざるを得ません。

そもそも神社の絵馬は何故「馬」なのか紐解くと、神霊は馬に乗って降臨する信仰があったからだと民俗学者の柳田国男先生は考えておられたようです。

その昔は山車や神輿ではなく、祭りの神幸には鏡を取りつけた榊を神霊の依代として、馬の背に立てて勧請を行うのが慣例であったようです。

従って絵馬を奉納する原点は、生きた神馬を神社に奉納するのが倣いであり、私が訪れた三島大社(静岡)や寒川神社(神奈川)でも神馬舎があったかと記憶しています。

平安時代の一部貴族は別として、生きた馬など奉納出来ない民衆は、土の馬型から木の馬型、そして更に簡略化されて板に馬を描いた板立馬を納めるようになりました。

これが現在普及している絵馬の原点です。

さて鬼鎮神社の鬼に話を戻すと、この愉快な鬼キャラは平成四年に絵馬奉納した氏子総代一同が、地域興しのための「ゆるキャラ」的イメージで創ったと前ブログで書きました。

その根拠は、No.2でご紹介しますが、神社の内陣に飾られている過去からの奉納物には一切この鬼キャラがなかったからです。

ところが昭和49年に発刊された絵馬の書籍を読んでいくと、鬼鎮神社の鬼キャラ絵馬がしっかりと紹介されていたのです。

『埼玉県比企郡松山町の鬼鎮神社でも、正月に出す“鬼神様”という絵馬がある。この地方一帯に民家の軒先に見られる愛嬌のある鬼である・・(中略)・・この鬼神様も無駄がなく、洗練された絵馬の一つである。また、これほど古い絵馬と新しい絵馬に筆法の差のないのも珍しい』(ものと人間の文化史12 絵馬 岩井宏実)

この鬼キャラが洗練されているか否かは大いに意見が分かれるところでしょうが、かなりの昔からこの図柄が受け継がれてきたことは明らかです。

おそらくこの地域一帯の氏子の皆さんは、ちょっと変だなとは思いつつも、この愛らしい鬼キャラを大切に守って来たのだろうと嬉しくなってしまいます。