昨今、栃木県那須の夫婦殺害、新宿の若い女性殺害と連日報じられています。私達が、人を殺したり、怪我をさせたり、ものを壊したりすると、逮捕され、刑罰を受けます。しかし、何万人を殺しても、怪我をさせても、また家や街並みを壊しても何ら囚われることがありません。

 

プーチンは通算5期目の大統領に就任、中国を訪問、先日はキノコ狩りをしていた。かつて9.11同時多発テロで、アフガニスタンを攻撃した際、ブッシュはプッシュ(push)ーつまり、自分は戦わず、人の背中を押しているだけと揶揄した表現です。かつて、ニュースステーションで久米宏さんが、戦争をするならまず、指導者が戦うべきだと言われていたのを思い出します。

 

プーチンもNATOの東方拡大の被害者と、ネタニアフも過去のユダヤ人虐殺を取り上げるが、今やっているウクライナの人々、そしてガザの人々への虐殺には言及しません。かつて、アメリカがリメンバーパールハーバー(真珠湾を忘れるな)の前に、リメンバーアラモ(メキシコ侵略の口実に)とリメンバー・ザ・メイン(キューバに停泊中のメイン号の爆破をスペインの仕業とし、スペイン攻撃の口実に)と3つのリメンバーがあるのを知りました。その後2001911日の同時多発テロが加わります。

 

沖縄には、「人に痛めつけられても寝ることはできるが、人の痛めつけては眠られぬ」という諺がありますが、対照的です。

 

 

ウクライナの永世中立を希望していましたが、難しいようです。ただ、2022224日に侵攻が始まってまもなく、トルコなどの仲介でウクライナの中立化も条件にあがっていましたが。私は、オーストリア大使館にコンタクトをとったりしましたが、難しいようです。オーストリアは19551026日に永世中立を宣言し、永世中立国になりました。その後クライスキー首相の下、国連の誘致なども進めました。また、PLO(パレスチナ)の事務所も世界に先駆けてウィーンに設置されました。199610月東ティモールのベロ司教とラモス=ホルタ氏がノーベル平和賞を受賞(私が92年秋に提案し、代表の貴島正道さんがオーガナイズされ、939496年そして964回目のトライで)しましたが、直接には95年オーストリアで行われた東ティモール人会議が理由とされています。その後、核兵器禁止条約の中心になって動き、また、昨年はアフガニスタンの民主化勢力の会議も4回にわたって開かれています。

 

 

23ケ月前、ウクライナ大使館の方とお話する機会があったのですが、勝つしかないとーそうならば、アメリカやNATOは、武器供与だけでなく、ロシアを追い出すのに全面的に協力すればと思います。NATOの加盟は時間がかかるとのことですが、最近米国がウクライナとの安全保障条約を締結したとの報道も。ロシアに撤退をせまり、でなければ、ウクライナのロシア兵をせん滅するぞというくらいの行動があってもいいのではないか。侵略を一刻も早く終わらせるために。

 

 

一方、ガザに関しては、先日映像の世紀で、ネタニアフの実兄がパレスチナの過激派にハイジャックされた飛行機がウガンダの空港に行き、そこで救出作戦で亡くなったことを知りました。亡くなったお兄さんは今のネタニアフのガザへの人々への殺戮を喜んでいるでしょうか。ユダヤ人虐殺の被害者であるユダヤの国家が、パレスチナ民族の虐殺をしていることがわかっているのだろうか。パレスチナの国連加盟が決議されましたが。

 

 

アメリカでは、若者を中心に反イスラエルのデモが頻発しています。今までアメリカが支援していたから、イスラエルもパレスチナ攻撃ができたのでは。

 

私は、東ティモールに92年から関わり、93年東ティモールへ。そこで会ったジョゼ・アントニオ・ベロ(当時東ティモール大学の学生)と会い、彼の案内で、967Falintil(東ティモール民族解放軍)のNo 2の司令官デイビッド・アレックスに会うことができました。ノーベル平和賞の推薦文のコピーを持参して(その3か月後受賞)。残念ながら、翌976月インドネシア軍に殺害され、遺体は現在も行方不明です。私は、真の解放軍がいることを実感しました。キューバの解放軍(フィデル・カストロやチェ・ゲバラ)も人々の模範になり、人々の支持を得てきました。軍隊とはそもそも人々も守るものではないでしょうか。

 

日本は、ウクライナ侵攻を非難するが、和平へのプロセスはなし、また、イスラエルから無人機の購入を進めている。NAJAT(武器の取引反対のネットワーク)の杉原浩司さんらの働きもあり、一部については断念しています。

 

1日も早く、ウクライナ、ガザを含むパレスチナ、さらにアフガニスタンやミャンマーなど、軍や独裁者によって人々が苦しんでいることから、解放され、平和で自由な日が訪れることを切に願います。