追記 3つの動画をご紹介させていただきます。

チェ・ゲバラーいろいろありますが、NHKザ・プロファイラーの番組が一番お薦めです。

チェ・ゲバラ世界を変えようとした男 - 動画 Dailymotion

 

ウルトラマンを作った男たちー金城哲夫氏のことを詳しくまとめられています。

ウルトラマンを作った男たち - YouTube

 

琉神マブヤーー映画も含めると10くらいのシリーズがありますが、最初のがお薦めです。そのオープニングの歌です。ボーカルは、ディアマンテスのアルベルト城間です。

(538) 琉神マブヤーのテーマソング (オリジナルバージョン) - YouTube

 

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先日2024515日(水)沖縄返還から52年の日を迎えました。沖縄の自然、文化の豊かさと反比例するかのように、米軍基地は減らず、辺野古の新基地の建設が進められ、さらに、石垣島、与那国島、宮古島などに自衛隊の基地が作られています。映画『戦雲(いくさふむ)』(三上智恵監督)が、316日(土)からポレポレ東中野などで全国公開されていますが、昨日調べると517日(金)で終わり、また6月から東京でも公開されるとのことで、監督の話もある日に予約しました。予告編、劇場などはこちらから。

映画『戦雲 -いくさふむ-』公式サイト|三上智恵監督最新作 (ikusafumu.jp)

 

 

 

私は、1年ほど前、映画完成前の映像を観る会で拝見させていただきました。マスコミで少し報道されていましたが、最近の自衛隊基地増強の実態を垣間見ることができました。

 

東ティモールと沖縄とキューバー島国で固有の言語(キューバは先住民が亡くなりありませんが)や文化(音楽など)、そして、苦難の歴史ーキューバはアメリカ資本による貧困、沖縄は太平洋戦争で20万人の人々が、東ティモールはインドネシアの侵略で20万人の人々が亡くなりました。またいずれも、平和を愛する人々だと思います。

 

私は、ケニヤ、スウェーデンから帰国後の92年春東ティモールの運動に参加させていただき、92年秋にベロ司教のノーベル平和賞推薦を提案し、会の代表の貴島正道さんがオーガナイズされ、939495年、そして964回目のトライで、ベロ司教とラモス=ホルタ氏のノーベル平和賞受賞に繋がりました。

 

 

95年、東ティモール関係者の紹介で、子どもの人権に関するNGOに関わり、そこで、フィリピン在住のアイルランド人神父シェイ・カレン神父(Fr Shay Cullen)と出会いました。私が沖縄に関心を持つようになったのは、9594日の米兵による少女暴行事件です。その抗議集会で、当時高校生だった中村清子(すがこ)さんの「基地のない平和な島を返してください」との言葉がとても印象的でした。

 

9610月シェイ・カレン神父の来日の際、全国を巡り、沖縄にもーご一緒させていただきました。2回の講演ー多くの方が来られ、沖縄の新聞にもの他、安保の見える丘や、象のおり(フィリピンの米軍基地にもあった)、金武町長との面会もありました。とりわけ、基地の跡地利用について具体的な案が作られていることを知りました。

 

 

シェイ・カレン神父は、フィリピン・オロンガポースービック米海軍基地のあったところで、PREDAAbout Us | Preda Foundation, Inc.という団体を設立、米軍による少女虐待などの告発、保護、フェア・トレード、さらに米軍反対の運動をされてきました。かつてノーベル平和賞候補にも。

 

カレン神父が移動中、電車の中で言われた2つの話を今も覚えています。問題が知られていなくでも一度火がつくと、それがすぐ燃え広がるように、広まっていくと。さらに、食べ物が届かないところにぶら下がっていでも、一匹のねずみが這い上がり、降ら下がっている袋の紐をかじるとその食べ物が人々のところに落ちていくとーまさに今カレン神父がされていることだと思いました。

 

フィリピンは、かつてスペインの植民地でしたが、ホセ・リサールを中心に独立運動をーそこに、アメリカがフィリピン側についてスペインを撃破しました。しかし、フィリピンが勝つと、その後アメリカは植民地にー日本の占領を経て、戦後独立しますが、すぐに米比安全保障条約を結び、オロンガポのスービック米海軍基地と、アンヘレスのクラーク米ク空軍基地は、ベトナム戦争の最前線でした。米国との軍事条約を延長するかの中で、協会やNGOを中心に反対運動が起こり、1991年フィリピン上院(条約は上院のみ)で可否同数で、議長裁定で破棄が決まりました。その後ピナツボ火山の噴火で基地が被害を受け、撤退が早まりました。スービックはSBMA(スービック湾開発庁)として工業団地に台湾などの企業や進出、空港はかつてフェデックスが利用していたことも。クラーク空軍基地とともに、スービック・ベイ空港として利用されています。

 

 

 

その後中国の海洋進出で、再び、米軍の寄港をみとめる動きの中で、JunkVFA(Visiting Force Agreement)(Junkはゴミ箱に捨てるという意味)が起こり、ノーニュークスアジアフォーラムのメンバーでもあるNuclear Free Philippine Coalition(フィリピン非核連合)の代表ローランド・シンブロンフィリピン国立大学教授や、事務局長のコラゾン・ファブロス女史(弁護士でもある)を通じて知りました。残念ながら、今、再度米軍の軍事使用を認めています。

 

 

キューバは、19世紀末ホセ・マルティを中心に、スペインからの独立運動が高まり、それを支援したアメリカは、勝利すると、キューバに傀儡政権を樹立します。1902520日です。その時に、グアンタナモ基地が置かれます。米資本による貧困の中で、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらによる革命が成功しますが、その後も米基地は居座り続けます。その条約に際し、米軍基地撤退には、双方の合意が必要と決められたためです。私は、2005年くらいから東ティモールの有機農業のプロジェクトの関係で、キューバに関わることになり、歴史から医療、教育、有機農業などいろいろ知ることができました。音楽も。

 

 

東ティモールは、16世紀にティモール島をオランダとポルトガルに分割して、400年くらいポルトガルの植民地に、戦時中日本の占領下に、戦後再びポルトガルの植民地に、1974425日のポルトガル独裁政権の崩壊(カーネーション革命、今年は50周年)で、翌19751128日に独立を宣言します。しかしその10日後インドネシアの侵攻を受け、翌1976年併合され、Falintil(東ティモール民族解放軍)を初め、国際的な運動の中で、1999830日の国連による住民投票を経て、2002520日に独立を回復します。
 

沖縄は、その後1609年の薩摩藩による琉球侵攻(2009年は400年)、そして1879年明治政府による琉球処分という名の琉球併合(2009年は130年)の他、ひめゆりの塔や、さらに、瀬長亀次郎氏(不屈館)や、沖縄のガンジーと呼ばれる阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)氏などのことも知りました。また、ウルトラマンを作った金城哲夫や琉神マブヤーなども。

 

安保条約継続のために「沖縄返還」を使った佐藤首相をを202282日に投稿させていただきました。

安保条約継続のために「沖縄返還」を使った佐藤首相 | shiro0218のブログ (ameblo.jp)

 

また、伊波洋一さんから、今沖縄県が台湾や中国と対話を進めていることも知り、2023109日ブログでご紹介させていただきました。

辺野古の新基地ではなく、普天間基地の閉鎖を! | shiro0218のブログ (ameblo.jp)

 

沖縄密約について先日24時からNHK Eテレでやっていました。

汚名 沖縄密約事件 ある家族の50年 - ETV特集 - NHK

 

2000年米公文書が公開されて、密約が、否、それ以上の金額―西山太吉氏がスクープした4000万ドル以外に18700万ドルを提供する密約があったと。その後国家賠償請求をされますが、20年を越えていると門前払いに。

西山事件 - Wikipedia

 

今も辺野古の度重なる訴訟が、沖縄県が敗訴になっています。かつて、1960年の砂川事件の地裁判決の後、アメリカが統治行為論を持ち出し、その最高裁長官が田中耕太郎で、その後国際司法裁判所の裁判官になったが、まともな政府でないとまともな裁判官は任命されないと思います。

 

個人的には、東ティモールのTシャツI LOVE TL(テトゥン語でTimor LoroSae, ポルトガル語でTimor Leste)、チェ・ゲバラのTシャツ、そして沖縄の鮮やかな緑のかりゆしを持って時々着ています。

 

キューバは、武力闘争によって革命を、東ティモールは、Falitil(東ティモール民族解放軍)を中心に、国内外の運動で、国連による住民投票で独立を回復しました。沖縄は非暴力で、民主的に独立をと思っています。2009年に、琉球タイムズ(沖縄には琉球新報と沖縄タイムズがあり、フェイクですが)が琉球の国連加盟の記事を発行していました。

 

日本の政治は多くを自民党のタカ派が主導してきました。沖縄は自民党のハト派から共産党までオール沖縄会議としてこの間ずっと県政を担っています。今沖縄の民意を覆しているのは私達本土の人間ではないでしょか。