10月7日ハマスによるイスラエル攻撃で、多くの市民が亡くなり、また人質を取り、一方イスラエルはガザ地区への地上戦へ向けて準備を進めている。アメリカは、そのイスラエルを支持している。イスラエル大使が、ハマスを非難しているが、自分たちがパレスチナの人々に対する暴挙をどうみているのだろうか?国連のグテーレス事務総長も双方の自制を求めています。
もともと、イギリスの三枚舌外交、そして国連が1949年にイスラエル建国を決議し、パレスチナ人を追い出す形に、さらに、その後イスラエルによる攻撃が続き(第一次~第四次中東戦争)、さらに引き続きイスラエルによる壁が建設されたり、入植したりしてきた。
私は、1990年12月下旬イスラエルを訪ねました。1988年10月~1990年5月までケニヤに、その後1990年9月~1991年5月スウェーデンへ。その間ケニヤ発世界一周のチケットで南アフリカ、アジア、北米、ヨーロッパを旅し、スウェーデン滞在中の1990年12月下旬から翌91年1月上旬まで、ロンドン経由でエジプト、イスラエル、ケニヤ、ロシア、フィンランドを旅しました。
イスラエルへは、イエス・キリストの足跡を訪ねるのが目的で、ナザレの受胎告知教会(Church of Annunciation)、12月24日にはベツレヘムの聖降誕教会(Church of Nativity)、エルサレムの聖墳墓教会(Church of Holu Sculpture)などを訪ねました。イスラエルのビザは、パスポートでなく、別の紙にスタンプが押されました。ちょうど湾岸戦争勃発前で、空港での検問は厳しく、イスラエルからエジプトへはバスで移動しましたが、軍の車が先導していました。その時からイスラエル、パレスチナ問題は関心を持ち続けてきました。
スウェーデンから帰国し、92年春から東ティモールの運動に関わり、スウェーデンからノーベル賞の資料を持ち帰ったこともあり、92年の秋、ベロ司教のノーベル平和賞推薦を提案し、会の代表の貴島正道さん(故人)がオーガナイズされ、93年94年95年96年と4回目のトライで東ティモールのベロ司教とラモス=ホルタ氏がノーベル平和賞を受賞しました。93年は南アフリカのネルソン・マンデラ氏とデ・クラーク大統領、93年はイスラエルのラビン首相とペレス外相、PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長が、95年はパグウッシュ会議とロートブラット博士(ロンドンのパグウッシュ会議を訪ねた時、お会いできました)が受賞されたのをよく覚えています。ペレス外相はその時、「和平とは味方との間に結ぶものでなく、敵との間に結ぶものだ」と言われたのを覚えています。
これは、余談ですが、「進め!電波少年」で松本明子がPLO本部前で待ち、「アラファト議長とてんとう虫のサンバをデュエットしたい」と歌ったが、全く反応がなかったり、また、死海の水で漬物を作る企画では、作るもピリピリし、失敗。専門家に訪ねると、死海の塩は塩化ナトリウム(NaCl)でなく、塩化マグネシウム(MgCl₂)がメインで、すなわちにがりの成分ということがわかり、急遽豆腐作りにしたりというものありました。
また、パレスチナ子どもキャンペーンの講演に伺ったり、知人女性がガザの訪ね、その報告を伺ったりしました。その時に、壁や入植地の問題を知りました。
さらに10年くらい前、クリスマスにイスラエルがガザを攻撃した直後、参議院議員会館で、パレスチナ問題の講演会があり、その時、小池百合子氏が議連の会長(エジプトに留学経験があったから?)で、当時防衛大臣であったので、アフガニスタンとパレスチナを訪ねたことを話していました。ガザは刺繍とか織物がさかんで、ガザにガーゼをとくだらないことを言っていました。
私は、90年代邦人救出に自衛隊機を使用するのは危険だと、元日本航空の機長であった信太(しだ)正道さんと知り合いました。今回も自衛隊機がジプチに送られていますが、民間機のチャーターなりの方が安全です。また、政府専用機も現在は航空自衛隊ですが、最初は内閣府で民間に委託する形をとっていました。
さらに、92年6月15日に成立したPKO協力法と改正国際緊急援助隊法によって、今まで、国際緊急援助隊(医療チームや消防チームなど)が、自然災害にも難民救援にも派遣されていましたが、政府答弁によって、自然災害は国際緊急援助隊、戦争による難民は、自衛隊に分けられ、また、改正緊急援助隊法によって大規模災害には自衛隊も派遣できるようにーつまり、国際緊急援助隊は自然災害のみ、自衛隊は両方に派遣が可能になり、今まで、カンボジアや東ティモールなどに派遣されて来ました。信太正道さんらと国際貢献を考える会を立ち上げ、国際緊急援助隊の副代表で、救急救命の専門家である山本保博医師をお招きして講演会を行ったりしました。10年前も今もガザへ送るのは自衛隊でなく、国際緊急援助隊であるべきです。
かつてインドネシアと東ティモールのように、イスラエルがパレスチナを承認し、対等で平和な関係が築きあげられるのを心から願っています。


