香港(台北に1時間ほど)経由キャセイ航空でロザンゼルス経由サンフランシスコへ。日本でチェックインするとき、サンフランシスコまでスルーで荷物を送れるか聞くとはいと。これがトラブルに。ロサンゼルスに着き、さらにサンフランシスコへ。荷物が出てこない。荷物はロサンゼルスで明日到着と。キャセイ航空の支店に行くと鍵が壊されていた。新しいスーツケースをとクレームし、ようやく新しいのを弁償してもらうことに。後でわかったことで、これは当たり前のことなのですが、Domestic(国内線)からInternational(国際線)へはBaggage Throughが可能なのですが、InternationalからDomesticの場合は、到着した空港でCustoms(税関)を通過しなければならない。キャセイ航空の日本人スタッフがその基本的なことを理解していなかったのだ。
サンフランシスコでいろいろ予定していたことがほとんどできず、ロサンゼルスへ。大学を卒業し、コンピューターメーカーの同じ外国部で勤務し、その後ともに辞めた友人がロサンゼルスに滞在しており、久しぶりの再会。彼とディズニーランドとユニバーサルスタジオへ。ディズニーランドではスペースマウンテンに。並んでいると一番前の座席にー慌てて後ろに下がると、係員が前にとー真っ暗な中のジェットコースターー超怖かった。
そして、エアカナダでトロントへ。ナイアガラの滝へ。アメリカ滝とカナダ滝が。そしてニューヨークへ。国連本部へ、ちょうど8月9日だったが、広島・長崎の展示が少しあったが、特にイベントはなかった。付属の図書館がダグ・ハマーショルド図書館というのを知った。ダグ・ハマーショルドはスウェーデン出身の第2代国連事務総長である。
鉄道でフィラデルフィアの独立記念館、そしてワシントンへ。Pentagon(国防総省)ヘ。廊下は誰でも見学できる。きのこ雲の写真にVictory in the Pacificの文字が。そして、質問をー米軍は米国を守る権利はあるが、他の国に行くのはどうか、そして米兵は各地で犯罪を犯していることを尋ねるもまともな返答はなかった。
さらに、ボストンへ。ハーバード大学とMIT(マサチューセッツ工科大学)へ。街は、とてもきれいだった。
そしてエアカナダでトロント経由でロンドンへ。ヨーロッパはユーレイルパスで回ることに(ただし、イギリスは含まれません)。ビッグベンなど中心部を散策。そして、大英博物館へ。さらにその斜め前にあるパグウォッシュ会議へ。古い建物に多くの書類が。代表のロートブラット氏がおられ、少しお話ができた。パグウォッシュ会議とロートブラット氏は95年ノーベル平和賞を受賞された。大英博物館の前で多くの日本人が記念写真を撮っていたが、パグウォッシュ会議には誰も来る人はいなかった。ウィンブルドンの門までも(閉まっていた)。さらに、郊外のグリニッジ旧天文台に。経緯0度をまたいで写真を撮る。ケンブリッジの天文台に移動したが、その後また、グリニッジに戻っているようです。
列車でブライトンへ。サセックス大学のIDS(開発研究所)へ。そしてフェリーでフランスへ。
パリは、ケニヤ滞在中にストックホルム、パリとジュネーブ(パレ・ド・ナシオン=国連欧州本部)を訪ねている。エッフェル塔や凱旋門、モンマルトルの丘などを見て、さらにUNESCO本部へも。
ベルギー・ブリュッセルへ。グランプラス(市庁舎前の広場、年に一度花のじゅうたんに)、そしてそこにGODIVAの本店が。小便小僧を見て、EUの本部とNATOの本部へ。NATOは中へは入れなかったが、横の看板にBELGIUMに赤の斜線(つまりここはベルギーではないと)があったのを覚えている。ベルギーはいろいろな人種が混ざっているのか、鼻の高い美男美女が多かった。

オランダへ。アムステルダム中央駅は東京駅に似た赤レンガである。アンネの家へ。中まで入ることができた。そして中央駅の近くに飾り窓があるとのことで、日中見てきた。ガラス張りの部屋が50-60くらいはあり、カーテンが閉まっていると客がいる。写真はさすがにご法度なので、絵葉書を購入。
そしてライデンへ。ここは、シーボルトが長崎を発って住んだところで、ライデン大学はオランダ最古の大学で、日本学センターへ。シーボルト博物館は改装中で残念ながら中には入れなかった。風車があり、道路は赤レンガでできており、私が旅した街の中では最もきれいな街でした。
さらに、ハーグへ。国際司法裁判所へ。また、ここにはISSという研究機関もある。
ドイツのケルンへ。ケルン大聖堂、そして4711というオリジナルオーデコロンを購入。ボン、そしてベルリンへ。ベルリンの壁の崩壊後でまだ統一前で、旧東ドイツを通ってベルリンへ。乗っていると車掌がきて運賃を支払うことに。旧東ドイツはユーレイルパスは適用外だった。そして、ミュンヘンへ。
そして、オーストリア・ウィーンへ。シュテファン大聖堂の階段を昇り、ウィーンの街並みを見る。さらにウィーン大学も。そして、ニューヨークからワシントンへの列車で会った母娘にシェーンブルン宮殿を案内いただく。そして国連ウィーンセンターへ。ここには、IAEAなどの本部がある。
そして夜行列車でデンマークへ。コペンハーゲンのチボリの門の前に。デンマークの国民学校の創始者で、東海大学の松前重義氏が影響を受けたというグルントヴィの教会へ。電車で少し北に行ったところに東海大学ヨーロッパ学術センターがあり、訪ねる。SIPRIのYearbookの日本語版を東海大学出版会が出されている。
ノルウェーへ。オスロの国会へ。誰でも議席のところまで行け、首相の席にも座ることができた。ノーベル研究所へ。ノーベル平和賞のみノルウェー・ノーベル委員会が決定するが、その建物の2階に過去の個人のノーベル平和賞の写真が2階にあると新聞で読んでいたので、そのことを尋ねると2階へ案内いただいた。
スウェーデンのルンドへ。ここは、ウプサラと並び、聖堂と大学が有名である。そして、夜行列車でストックホルムへ。90年9月~91年5月までストックホルム大学(IGS)で学ぶことになる。










