73日(土)4日(日)東ティモールフェスタ2021がオンラインで開かれ、東ティモール日本文化センター(TNCC)はシェア(SHARE)の事務所をお借りし、また、協力をいただいて発表することができました。そして、いろいろ質問をいただきました。

 

学校では何語?

東ティモールの憲法には、公用語はテトゥン語とポルトガル語、そして英語とインドネシア語が実用語と、そして地方言語(母語)は政府によってサポートされなければならないとあります。しかし、テトゥン語は政府を含め、多くのNGOで支援されていますが、地方言語に関してはTNCCくらいではないかと思います。

実は、1999年の住民投票に際して、CNRT(東ティモール民族抵抗評議会)はポルトガル語だけを公用語に決めました。東ティモールの指導部は4050歳代以上で、ポルトガル植民地時代に教育を受けた人々で、インドネシア支配下でインドネシア語教育を受け、ポルトガル語を話さない若者から大反対があり、テトゥン語とポルトガル語を公用語にしたという経緯があります。

2000年代、日本はインフラに多額の支援をしていましたが、ポルトガルは教育に多額の援助をしてきました。それは、ポルトガル語の教科書を送り、ポルトガル語の教師を送りました。しかし、東ティモールに四季はなく、また、星の動きも違います。また、東ティモール人の先生はポルトガル語を話す年配の先生が多いです。

したがって、教育はポルトガル語をメインに、テトゥン語が少し、さらに英語がという感じです。ただ、地方言語は学校教育では教えられていません。
例えば、東ティモール大学工学部は、日本が支援している学科は英語、ポルトガルが支援している学科はポルトガル語です。ただ、英語を学ぶ若者は多く、東ティモール大学の教育学部の英語学科は人気です。また、上智大学で英語で自然科学を学ぶ東ティモールの学生もいます。

 

ポルトガル語諸国との関係は?

ポルトガル語圏諸国共同体(CPLP=Comunidade dos Paises de Lingua Portuguesa1996年設立)のメンバーです。加盟国はポルトガル語圏の9か国です。アンゴラ、ブラジル、カーボヴェルデ、ギニアビサウ、モザンビーク、ポルトガル、サントメ・プリンシペ、東ティモール、赤道ギニアです。東ティモールで、首脳会談や国防大臣の会合も開かれています。

 

東ティモール人のアイデンティティ

インドネシア軍の軍事侵攻の後、ポルトガルは国連決議を主導するなど、東ティモールを支援してきました。学校でインドネシア語教育が強要される中で、教会、そして人々の暮らし、さらに解放軍のコミュニケーションの手段はテトゥン語でした。ポルトガルの影響で9割以上がカトリックです。聖書も祈りもテトゥン語です。

ディリ市内になるタイスマーケットにはAmi nia Cultura Ami nia IdentidadeWe have culture We have Identityとあります。まさに、言語は民族のアイデンティティの根幹だと思います。

 

元大統領、現在首相のTaur Matan Ruak氏。その前はFalintilFDTL(東ティモール国防軍)の司令官、そして長きに渡り、Falintil(東ティモール民族解放戦線)の司令官です。現在は多くの動画がUPされていますが、その中の1つをご紹介させていただきます。EAST TIMOR: GUERRILLA LEADER TAUR MATAN RUAK INTERVIEW - YouTube

 

また、高橋道郎さんは、タウル・マタン・ルアク氏と大変信頼が厚いですが、東ティモール日本文化センター(TNCC)のブログの東ティモールあれこれに、2012年大統領に当選された際、以下の文章を寄せておられます。

東ティモール日本文化センター/TNCC Timor Loro Sa'e - Nippon Culture Centre: 東ティモールあれこれ (timorlorosae-jp.blogspot.com)

「1975年から1999年までインドネシアの国際法に反する軍事侵略に抗してレジスタンスを継続し、最初は約27,600人いた民族解放軍が約150人に激減し山を下りて降伏しようという仲間の前で「山を下りたいものは下りてよい。私は民族自決の神聖な権利を実現する大義のため山に残る。”I am the last one!"と演説してレジスタンスを継続したと言い伝えられている英雄である。」

 

人々の暮らしー東ティモールの男と女

東ティモールの基幹産業は農業です。以前は8割くらい、現在は5割くらいの方が農業に従事しています。地方では、自給自足の生活を送っています。例えば竹を半分に割り、水を山から流し、田んぼや畑に水を引いています。漁業も昔ながらの漁法で、そしてディリの海岸には露店が並んでいます。

また、東ティモールの女性はよく働かれます。朝早くから食事の準備、掃除、洗濯、子どもの世話から。一方男性は、失業が多いこともあり、昼から賭け事(闘鶏など)をしていることも多かったです。今でも疑問に思うのは、食事の準備は女性がし、男性はほとんど手伝うことはしません。そして、食事の時は、男性はテーブルで、そして女性は床で食べるのです。日本の男性も似たりよったりの部分はありますが・・・

 

子どもたちは?

子どもたちは、特に男の子はサッカーが人気です。女の子はバレーやバスケットなど。教会の前には芝生があり、絶好の場です。2013年にはJリーグが、東ティモールの子どもたちにユニフォームをプレゼントされました。それは、Jリーグ東ティモールユニフォームで検索すると、動画が見れます。

東ティモールの子供たちにユニフォームを届けてきました。 - YouTube

 

また、音楽も人気です。15セントほどで、ダウンロードでき、ヘッドホンで聞いています。また、ミクロレットでは音楽がバンバンに流れています。

 

東京の女性が中心にティモロロサエが結成され、東ティモールの歌をテトゥン語で歌い、東ティモールのことを知ってもらう一助となればと活動されました。

カランカラン

東ティモールの歌 カラン・カラン - YouTube

ハウハケレク・スラット・イダ

東ティモールの歌 ハウハケレク・スラット・イダ - YouTube

 

政府にお金、人々には?

Jose Antonio Beloが東ティモールのラジオとテレビのRTTLPresidentに今年5月就任したとの知らせを受けました。彼に期待することはと。

José António Belo Simu Posse Hodi Lidera RTTL,EP Ba Tinan 4 - YouTube

 

独立回復後、多額の支援が東ティモール政府にされ、また、多くの石油収入も入っています。大統領府もFalintil-FDTL(東ティモール国防軍)の建物も中国による支援です。

一方、人々も暮らしはそんなに変わっていません。失業率も高いです。雇用の創出には外国資本を導入するのもありますが、かつてノーベル平和賞を受賞したグラミンバンクのようなMicro Credit(小規模融資)でもっとSmall Scale Enterprise(小規模企業)を育成する必要があるのではないでしょうか。日本も数でいくと99%が中小企業です。TNCCの高橋道郎さんのパートナーもMatsuba Fund(旧姓は松葉さん)で様々な支援をされています。しかし、国レベルでもっと支援がされてしかるべきだと思います。

ジャーナリストの立場からも、また、タウル首相ともジョゼは信頼関係がありますから、少しでも東ティモールの人たちの生活、暮らしをよくしていただきたいと思います。