9月19日世界中への米軍への支援を可能にし、集団的安全保障を可能にする安保法成立から5年が経った。専守防衛を逸脱との指摘もある。しかし、専守防衛という文言はとっくの昔に嘘となっている。そもそも専守防衛とは自国に攻撃されたときの自衛権行使ではないのか。80年代のシーレーン防衛、そして90年の湾岸戦争後の91年ペルシャ湾への掃海艇派遣、その後のインド洋への自衛隊派遣、そして92年6月15日のPKO法と国際緊急援助隊法改正によって、さらに自衛隊の海外派兵は進む。 

 

このPKO法成立にはあまり知られていない内容が含んでいる。国際緊急援助隊は60年代に設立され、医療チームが世界中の難民支援や災害支援を行ってきた。PKO法の審議過程の中で、自衛隊と国際緊急援助隊の違いの質問に政府答弁によって、自衛隊は戦争による難民救援、国際緊急援助隊は自然災害に分けられ、さらに改正国際緊急援助隊法によって自衛隊は大規模な自然災害にも派遣できるようになった。私はテレビでそのことを知り、その専門家の医師、看護師を議員会館に招き、講演会を行ったりした。 

 

自衛隊は92年のPKOとしてカンボジアを初め、モザンビーク、ゴラン高原、難民支援にルワンダ難民、東ティモール難民支援(99~2000年)などに派遣された。ルワンダ難民は隣国ザイールへ、東ティモール難民は99年8月30日の独立を問う住民投票の後、インドネシア軍の支援を受けたミリシア(民兵)による破壊活動を逃れ、西ティモールへ避難した。救命救急の専門家の医師の弁を借りれば、自衛隊の軍医より我々の方が適していると。 

 

そして東ティモールへも2002~04年PKOとして派遣された。主な任務は道路の補修である。私は東ティモールに長く関わってきて、当時東ティモールに滞在していた。高額な人件費を自衛隊員に払うより、若干名の道路の専門家を派遣し、東ティモール人を雇用すべき(給与は10分の1くらい)で、我々の税金を教育や医療など効果的に使うべきだと主張した。実際、自衛隊が行った道路補修は主要道路が主で、しかもその後修理が必要に、さらに地方道路などは現在もほとんど砂利道である。 

 

現在医療チームと消防チームしかない国際緊急援助隊に輸送チームや建設チームを創設し、その専門的なトレーニングをし、非武装の国際緊急援助隊を創設すべきではないか。 また、そもそも今の「自衛」隊は真の『自衛』隊なのだろうか。自分の国を自分で守ると言いながら、米軍下にある「自衛」隊は”アメリカ予備軍”であって真の『自衛』隊ではないのではないか。日本の平和勢力も、自衛隊の違憲性ばかりを指摘するだけで、そのことをあまり指摘してこなかったのではないだろうか。では、どうすれば、安保条約にかわるより強力な平和体制を構築できるのだろうか。それは、国会で『永世中立宣言』をし、『永世中立国』になる以外にないのではないか。私は若き日に田畑忍先生(1994年逝去)に会い、それを確信した。スイスは1815年にウィーン条約によって永世中立国になったが、オーストリアは独立に際し、旧ソ連と何度も交渉を行い、1955年5月15日独立し、最後のイギリス軍が撤退した同年10月26日憲法で永世中立を宣言し、各国に承認を求め(日本は最初の承認国)、永世中立国となった。 

 

もちろん、安保条約を破棄するのはたやすいことではない。まず、非核・軍縮ー沖縄の辺野古の新基地を含め、在沖の約3分の2を占める海兵隊の大幅削減など、そして東アジアの軍縮が進められるべきである。かつてのスウェーデンのパルメ委員会のような。 私は、多くの国民が思っているように真の『自衛』隊には賛成だ。次のような3段階を提案したい。

 1非核・軍縮ー核禁止条約への批准、米軍基地の軍縮ーとりわけ沖縄の辺野古新基地を含 む海兵隊の大幅削減、自衛隊の海外派兵禁止、国際緊急援助隊の拡大充実

 2永世中立・自衛=軽武装永世中立ー国会で永世中立宣言、自衛隊の半減、半分は新設さ れる非武装の災害救助隊へ 

3非武装永世中立ー将来的な目標であり、現在非武装を求める人もまず第一、第二段階を容認してほしい。 

 

かつて反安保というと重武装中立を唱え、スイスやスウェーデンを例に挙げられた。しかし、90年代以降冷戦の終結の中で軍事費は減少し、そして軍事費はもちろん人口の違いはあるが、スイスは日本の10分の1、スウェーデンは12分の1、オーストリアは15分の1です。 

 

皆さんの建設的なご意見をいただければ幸いです。