徳川家康は総距離200kmを2泊3日で越えた
実際にできるのか確かめるべく、伊賀越えしたルート(岡崎→堺)を反対に辿った『逆⇔神君伊賀越え』
以前紹介した通り、現地に行って観たり聴いたり、後から調べたりする中でいろいろな発見があり、本当に楽しかった
そして、第2弾を新たに紹介したいと思う
家康がなぜ伊賀越えをしなければならなかったのか
明智光秀が「本能寺の変」を起こしたからだ
でも、光秀がなぜ「本能寺の変」を起こしたかは今でも明らかになっていない
ただ、本能寺から居城の亀山城までまた逆の道のりを辿ることで面白い発見ができればと思い、総距離20kmの道のりを挑戦した
藤沢周平著 「逆軍の旗」
と、その前に明智光秀が本能寺に向かう道中も描かれていた同書を再読
短編ながらその細やかな心理描写は見事 初読のときに気付かなかったのか、それとも忘れていたのか
そんな情景もいくつかあり、また跡地を確かめるべく、さらに行く前にテンションが高まった