摂津で最も古い城で平安時代末期、1180年前後太田頼基が築いたと云われています。近隣の池田城が1334年前後に築城されていますが太田城はそれより150年前に築城されたことになります。
正確な位置は定かではありませんが西国街道に接した南側と云われています。縄張りもまた不明ですが、城館形式の平城で、東西、南北150m前後ではないかとされています。
築城者の太田頼基を語るエピソードで有名なのは『平家物語』第12巻に記載されている「河原津の合戦」です。
1185年10月30日の夜、手勢500騎を率いて、源頼朝の追討から西国へ逃亡する源義経を安威川沿いで矢を射かけたという戦いです。
この戦いで頼基自身も負傷し、仕留められなかったものの、鎌倉への忠節を示した勇敢な武将であると称えられています。
頼基は摂津源氏とされることもありますが頼親は摂津にも多数の領地があり、その子孫の中で摂津の領地を継承したものと思われます。
その後、約350年間、室町時代の1528年、丹波の波多野稙通が主君の細川高国を攻めた際に落城し、そのまま廃城になったと思われます。