この3月、5年ぶりにふるさとの横浜磯子の根岸に帰りました。
家人の病気や5年間続いた熾烈なコロナ禍、それに重なるように罹患した私自身の肺腺がんのために中々帰れなかったのです。
横浜市磯子区根岸
根岸八幡神社
根岸幼稚園
蝶の幼虫は、母蝶が産み付けた食草の葉上で孵化して蛹になるまでの間、三次元世界の中の二次元表面から離れることはない。
二次元表面こそ蝶の幼虫の全世界である。
だがそれでも一枚の葉から次の葉に移るために枝を登ったとき、その目に遥かな青空が映っただろうか。
われわれもまた、閉じられた相対三次元世界から逃れることはできない。
だがそれでも悲しみに打ちひしがれ、悲嘆に暮れ、悔恨に涙する絶望の心貧しきとき、現存在を超えた永遠の世界を我知らず希求しなかっだろうか。
Autism spectrum disorderは1944年、ハンス・アスペルガーによって報告された高機能自閉症候群ですが、広く認知されたのは1980年代になってからで、私が根岸幼稚園にいた1955年頃ではまったく知られていませんでした。
根岸幼稚園での生活は面白く楽しいものでしたがその反面、私の奇行ばかりが目立って事あるごとに女性教諭の青木先生とぶつかっていました。
幼い私と、薙刀道による鍛錬をご経験の青木先生を同列に扱うのは大変失礼なことですが、私は勿論、青木先生も先天性の脳の器質変異であるAsperger Syndromeを知らず、私たちはただ人間力だけで反発しあっていたと思います。結果私は根岸幼稚園を中退しました。そしてこの出来事は幼い私にとって強烈な体験になりました。
それは青木先生の言うことは正しいのにそれに従えない極めて頑なな自分を知ったからです。私は自分を客観的に考えることを知りました。しかしそうしたからといって自分を突き動かす衝動から逃れられるわけではないことも知ったのです。
もし幼い私に根岸幼稚園と青木先生がいなかったら、私はAutism SpectrumとAsperger Syndromeの青嵐の中で如何に自己の確立を果たせたでしょうか。
根岸幼稚園は私の聖地で、青木先生は私の出発点だったのです。
急な階段を登り、本殿で参拝をして、社務所で病気平癒のお守りとキーホルダーをいただきました。
今日は日曜日。園庭はひっそりと静まり返っています。
園児たちの歓声が聞こえます。そして園児服を着た幼い私が見えます。私は思わず声をかける。
「かずちゃん僕が見えますか?僕は70年後の君の姿です。かずちゃんにはこれから間違いなく70年の歳月があるんですよ。その中には凄愴なまでに辛く苦しく悲しい時があるけれどもかずちゃんは乗り越えました。かずちゃんの苦しみのひとつひとつはまるで美しい花園の花々です。必ず実を結びます。
かずちゃんの苦しみは誰も分かってくれなくても僕だけは分かっていますからね。そして僕にもまた見守ってくれている僕が微笑んでいるはずです。かずちゃん!僕たちが見えますか。かずちゃんは決して独りぼっちじゃないんだよ。」


