【もっとも研究すべきは輪郭ではなく陰影である】
レオナルド ダ・ヴィンチ ウルビーノ稿本

立花隆は免疫療法に良い印象をもっていないという。その理由を聞いて見よう。
文藝春秋2016年5月号より引用
立花
『免疫療法と聞くと、僕はあまりいい印象を持っていないんです。
免疫系が病原菌をやっつけるように、何らかの手段で免疫力をパワーアップして、ガンを攻撃できるようにするという発想はアイディアとして悪くない。
ヒトが本来持っている免疫系を使うわけだから、ガンの三大療法である外科手術、抗がん剤治療、放射線治療より体に負担が小さいはずだという推測も納得がいく。
しかし、これまでさまざまな免疫療法が華々しく登場しては、期待されたほどの効果を上げずにきました。
そんな例をイヤというほど見てきたから「今度こそ本当に効く」と言われても、今度もダメだろう、と思ってしまうんです 』
本庶
『ニボルマブ(商品名オプジーボ)が登場するまでは世界中のほとんどのガンの専門家が、免疫療法でガンが治るとは考えていませんでした。実際これまでの免疫療法はほぼ失敗しています。立花さんのように本当かなと思われるのも当然ですね。』
立花
『確かに免疫療法は失敗の連続でしたね。なぜ失敗続きだったのですか。』
本庶
『/代表的な例が、免疫療法のひとつ、ガンワクチンです。
でも僕は最初からこれは効くわけがないと思っていました。
例えば僕が肝臓がんだとしましょう。
僕のガンの一部は常に死んでいます。死んだガン細胞は抗原となって体内にばらまかれ、免疫系にいわば記憶される。(中略)
ガン患者の体内にはすでに十分抗原はあるはずなので、さらに何ミリグラムか知らないけれども、抗原を注射したところで、大した違いが出るはずがない。
~つまりワクチンを打っても打たなくても、打つ前とさほど違いはないということだ。~( 白鳥)

二番目によく知られている免疫療法は、患者のリンパ球を外に取り出して、試験管内で増やした後に、体に戻すという養子免疫療法と呼ばれる方法です。
アメリカの国立ガン研究所のスティーブン・ローゼンバーグらが、何年も臨床試験に取り組んだものの、結局、効果を証明できず、アメリカでは中止されてしまいました。
ところが日本では民間療法として、患者から何百万円も取って、これを実施している医療機関がある。』
立花
『今でも?』
本庶
『ネットに沢山出ています。ガン患者は気の毒にも、藁にもすがる思いで、そういうところにいく。
三つ目に知られている免疫療法は、インターフェロンを直接投与する方法です。(異物の侵入を脳に知らせ、免疫を作用させる連絡物質)
ガンの増殖を抑えるガンマーインターフェロンが発見されたときには大きな話題になりましたが、これは副作用が強すぎて、治療にならない。
三大免疫療法に共通して言えることは、免疫力のアクセルを吹かそうという発想に基づいている点です。
立花
『なるほど。免疫系のアクセルを吹かしても、ガンの側でブレーキを押す機能があるから、免疫力が十分発揮できないわけですね。』
本庶
『アクセルを吹かすのではなく、ブレーキを解除しようという発想が生まれたのは、CTLAー4とPD-1が発見された後です。つまりごく最近の話なんです。』
CTLAー4はPD-1と同じく免疫系のブレーキ役を果す分子だが、CTLAー4の効果をブロックする抗体を投与してブレーキをはずすと、急激に加速してしまいコントロールが難しく、自己免疫疾患の重篤な副作用があり、PD-1と比べると極めて使いにくい分子だという。これは「ヤーボイ」という商品名で、メラノーマだけに適応されている。

立花
『/ニボルマブのほうも副作用の報告はありますね。』
本庶
『ヤーボイに比べれば少ないのですが、もちろんゼロではありません。
自己免疫疾患は人によって糖尿病や大腸炎、間質性肺炎など、どこに出るか想定できないところが厄介です。
重症筋無力症で亡くなった方もおられますので、普及にあたっては、臨床家がきちんと診ていく態勢を整えておく必要があります。/ガンの専門家の大半は免疫系にあまり詳しくないですから、免疫系の専門家がいる大病院でしか、この薬は使えないことになっているはずです。』
本庶の話を聞く限り、オプジーボにはかなり怖い側面もあるようだが、研究開発者という純粋科学者の、偏りのない正直な告知ととらえれば、氏の潔よさを感じるのは私だけではないだろう。
私は29年前に抗がん剤を1/4クール受けただけで病院を出た。
その時私の内臓諸器官は極めて良好で、これを大切にしなければ、ガンの治癒は希めないと思っていた。事実多剤投与の抗がん剤の主剤シスプラチンには、腎臓への副作用があり、最悪腎不全に至る恐れもあった。
退院後私の実践した民間療法は、ミルク療法と呼ばれていて、内容はほとんど荒唐無稽といわれるだろうものだった。
もちろん私には極めて先進的な原理に映った。
当時医師による◯◯ワクチンという、患者の尿から採った抗体を培養してワクチン化するという、極めて論理的で合理性に富んでいると思われる免疫療法があった。
平たくいえばカッコいい療法だった。
どうして人は論理とか合理性をそれほどに信頼するのか、論理や合理性は人間の思考に付属する1アイテムに過ぎないではないか。スジが通っていれば正しいとどうして簡単に考えてしまうのか、スジなどというものは、どんな事柄にも通っているように見えるのではないか。そのような安易な態度は私には到底できないことだった。
医師も患者もどうして、広大無辺ともいうべき体内の免疫を、一片のアイディアで使いこなせると思うのか、その方がよほど荒唐無稽だと思っていた。案の定多くのガン患者が、一片のアイディアから作られた「治療」によって医療の暮靄に消えて行った。
現代人は何もかも【言語化】することを求める。それは論理や合理性に裏打ちされてはいるけれど、重ねて言うが論理や合理性は新時代の呪文に過ぎないのではないか。現代人はそれぞれを言語化するだけで、遂に【それ】を生きてみることができない。
私はミルク療法(ミルクケア)を人に説明しなかった。ただ黙って粉ミルクを飲んだ。
説明したところで、概念でいっぱいになっている頭脳が、ミルクケアを理解できるわけがないことを私は知っていた。概念は曖昧な目盛りの物差しのようなもので、ミルクケアを計ろうと様々な概念をあてがって見るけれど、正確に計ることはできず、近似値的な概念で納得してしまうのがオチだろうから。近似値的な概念では、閉じた扇のカナメでは一緒だが、開いて展開すると相違は極めて大きくなるものだ。
牛乳と異なり乳幼児の飲む粉ミルクに副作用のあるはずがない、私は黙って粉ミルクを飲み続けた。自分の免疫力を希求して。
それから29年になる。そのうち粉ミルクを飲んだのは5年間だった。
この記事は2016年6月に投稿したものですが、本庶佑氏のノーベル医学生理学賞受賞に際して本日再投稿させていただいたものです。
熊蜂の飛行 拡大すると迫力が。
クマバチは黒と黄色の警戒色で、何となく恐ろしい感じですが、ミツバチの仲間で、人を刺すようなことは決してありません。空中でホバリングをしていて、近寄ると向かってきそうですが、逆に逃げて行きます。クマバチは晩春から初夏に現れて2世代ほどを繰り返す、毛深くかわいい天使です。クマモンが飛んでると思いましょう。
オプジーボの陰影は次回の「Ⅴ」で完結です。次回はいよいよオプジーボの臨床試験です。
今日の話しは昨日の続き今日の続きはまた明日
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