オプジーボの陰影 Ⅱ ノーベル賞受賞おめでとうございます❗ | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 31年の軌跡

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私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して30年経過しました。

【もっとも研究すべきは輪郭ではなく陰影である。】

             レオナルド  ダ・ビンチ   ウルビーノ稿本



今回のこの「大特集」は、過去のさまざまないわゆる特集記事と異なり、忌憚のない意見が誰憚ることなく話されている。

悪に魅入られた製薬会社と白い巨塔が馴れ合って作り上げてきた虚偽を、遠慮なく一蹴していて痛快でもある。

さてその核心のひとつは次のようだ。
文藝春秋2016年5月号245ページから引用。

立花
『ジャーナリストで、「NEWS23」のキャスターを務めた筑紫哲也さんは、/2008年にがんで亡くなりました。
筑紫さんは最初にがん(小細胞肺がん)が見つかって放射線療法を受けた後、医師から「Good  PR」と告げられるんです。
PRとはパーシャル・レスポンスの略で、部分寛解、つまり腫瘍の大きさがある程度縮小した。筑紫さんの場合、90%縮小していました。
その時医者が「ほぼ治った」というような意味だと告げたらしく、筑紫さんも「ガンをほぼ撃退した」と宣言して番組に復帰するんです。しかし2ヶ月後には、再び番組を休まざるを得なくなる。
部分寛解とはあくまでガンの部分的な縮小を意味するに過ぎず、「ほぼ治った」という医師の言葉は誤解を招く表現だったと思いました。』

本庶
『臨床の現場では、レスポンスを寛解という意味で使っていますが、臨床試験を行うときは、この言葉にそういう意味はありません。
腫瘍の縮小率が50%より上か下かでコンプリート・レスポンス(完全奏効)とパーシャル・レスポンス(部分奏効)を分ける定義が一般的でしょうね。
どうしてこういう基準が設けられたかと言えば、それは抗がん剤に効果があるように見せるためだと思います。』

立花
『腫瘍が小さくなったことをもって効果あり、というための基準ということでしょうか。』

本庶
『まあ、そういうことです。
なかには、20%とか30%でコンプリートとパーシャルを区切る臨床試験もあります。
製薬会社はいささかトリッキーな基準を導入したと思いますね。

従来の抗がん剤は、一年くらいの延命効果があるものもある。しかしそれ以上の期間、生存率をキープできたものは少ないです。ほとんどのケースで再発があって亡くなってしまいますから。
いろいろな抗がん剤が開発されましたが、生存率を比べた時に、長期にわたって効果を示した例はゼロに近いですよ。

立花
『そうするといわゆる近藤理論が正しいということですか。(中略)
近藤誠さんは、抗がん剤は大半のガンに効かないし、無治療のほうがいいと主張しています。』

本庶
『人はどうせ死ぬんだから、自然にまかせたらいいという考え方はあってもいいと思います。
たとえば前立腺がん。特に高齢者の前立腺がんは、治療しても放置しても結果は変わらないという報告があります。
それから難しいガン、例えばステージの進んだ膵臓ガンなどは何をやっても結局はダメということは多い。そういう場合、無理に手術をしてもかえって体を弱めるだけだという考えは必ずしも間違っていないと思います。
しかしどんなガンに対しても何もするなというのは言い過ぎだと思います。以下略』





筑紫哲也ほどの情報通の方でも、ガンに対する認識がほとんどゼロに近いことを目の当たりにすると、驚きを通り越して悲しくなる。

手術や放射線、抗がん剤でガン細胞を消滅させることはかなりの頻度で成功している。そしてそれは非常にラッキーなことだ。だがそれでガンは治ったわけではない。ガンは再発するのだ。

筑紫哲也のようにいかに多くの一時的成功者が、再発で暗い淵に沈んでゆくことか。

ガンは漢字で癌と表記するが、これからはガンは【再発】と表記するとして官報で告示してもらいたいと思うくらいだ。

本庶氏の忌憚のない説明で、抗がん剤では治癒はおろか再発さえ防げない事がはっきりしたと思う。
これが広く一般に認知されれば、私たちのガン闘病は全く新しい、より人間的なものに変わっていくだろう。


以前、芸能人がガンになると、壮絶な闘いや、凄絶な闘いなどと最上級の言葉を使ってセンセーショナルに報道した。

近藤誠氏の「患者よ、ガンと闘うな」が出版されたのは、このような世相に憂慮したためではないかと思う。
闘いは苦しいし、成功の見込みもほとんどない。だから近藤氏の真意は、脆弱な現代医学に乗せられて、長くはない人生最後の時間を荒らされることなく、豊かに大切に生きようということなのだ。

私が抗がん剤治療を拒否して病院を出た時も、そのような気持ちだったし、その覚悟があった。

ただ私は希望を捨てなかったので、不思議な揺らぎを持った人体に対して、合理性一辺倒で、まるでゴリ押しのように対応しようとする現代医学や現代栄養学を考慮の外に置いた。


現代は外へ外へと無限の拡大拡張を志向している時代だ。例えば科学。例えば資本主義。そこから派生した知識偏重。現代人は無限や永遠が好きだ。つまり飽くなき量の世界に生きている。満たされる事なく無限∞永遠に、そして量はいつか質に転換するという仇な夢を見ているのだ。

今様のキリストはこう言うだろう。『神の国はあなたの外にある』更に今様のデルポイの神殿入口の碑文にはきっとこう彫られているだろう、『汝以外を知れ』。

しかし私はガン克服の鍵は、私たちの内部に備わった【免疫機能】の、より深い研究にあると考えている。
お断りしておくが、それは現在行われている『免疫療法』ではない。現在行われている免疫療法は、免疫機能の一部だけを取り上げて恣意的に利用するという、結局外部からの発想で行われているからだ。

武田信玄には肺結核の持病があった。彼は体を暖めるために石和温泉や増富鉱泉で療養したという。また戦役の時には現地の名もない出で湯を用いたと記録されている。信玄の隠し湯といわれる所以である。
もし信玄が貧しき農民だったら、体を暖めることはできず、とてもあの歳まで生きられなかったろう。

私も【縦隔原発、胚細胞性腫瘍、非セミノーマ】を運よく全摘出されてから、信玄のように半身浴をした。30~40分温めの風呂に鳩尾まで浸かる方法だ。
私はこれ以上体が暖まる方法を知らない。

腸内フローラはまだその名はなく、腸内細菌叢と呼ばれていた。
粉ミルクを飲むことによって、腸内細菌叢が活性化して結果、ガンが治癒するというミルクケアを知った時、迷わずこれだ!と思った。
粉ミルクの中にガンに効く成分があるのではなく、粉ミルクは腸内細菌の最良の食物で、豊かな腸内細菌叢が作られることによって、バランスの良い血液が生成され、さらにリンパも活性化されるという、豊かで幸福な生体イメージが私の中に生まれた。

私はそのイメージを言語化することを避けた。豊かなイメージを言語でひと括りして概念化することを避けたのだ。
ミルクケアにはいまだわからない事がたくさんあるのだと思っていた。
そしてその半年後、希望を抱きながらも孤独な私に福音がもたらされたのだった。
医学生理学賞で利根川進がノーベル賞を受賞した。受賞理由は。

『多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明』


「オプジーボの陰影   Ⅲ」に続く。


この記事は2016年6月に投稿したものですが、本庶佑氏のノーベル医学生理学賞受賞に際して本日再投稿させていただいたものです。

宮沢賢治  『沼森』麓の引湯の跡  右の小屋は当時のもの 築100年前
防火線沿い、帰って行って麓の引湯にぐったり今夜は寝てやるぞ”



今日の話しは昨日の続き今日の続きはまた明日





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