虫屋の習性 | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 38年の軌跡

白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 38年の軌跡

私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して38年経過しました。







         


私は小学一年生の時から、蝶や蜂の採集に夢中でした。

昆虫採集は現地に着いたら、たとえ小学生だろうと、自分の知識や推理力、応用力、判断力そして行動力などの、人間に備わったすべての資質が試されます。





           


スポーツの公式戦と同じく、決してやり直しはききません。さらにまたスポーツと同様に、最も大きなファクターは、自分自身を知ることです。








自分というこの不可思議な存在を、朧気にも知らぬことには、精神と肉体のいわば一挙手一投足とでもいうべき出処進退を、円滑に行うことはできません。

虫を追いかけて走り出すと同時に、起こりうる可能性と、採りうる最良の方法を、瞬時に選択できなければなりません。



             

世界を我が物としなければ、ただいたずらに世界に翻弄されて終わってしまうからです。

こうして虫屋は成長していくのですが、人間のあらゆる分野の人びともまた、同様の道を辿られることでしょう。



           

私が生存率0%の縦隔原発非セミノーマから28年間生きてこられたのは、思いやり豊かな私の主治医がいたからこそでした。

しかし私はその主治医にミルク療法(ミルクケア)の話は一切しませんでした。
彼が私にしてくれた配慮だけで、私にはもう無上のものだったからです。
また不用意な質問をして彼につまらぬ負担をかけたくなかったのです。






       


私は大切な判断をする時、決して人に相談することはしません。たとえ雑談の時でも口にはしません。
ミルク療法(ミルクケア・粉ミルク)を始める時も、誰にも相談しませんでした。

遠い昔の言葉に『断じて行えば鬼神も之を避く』とありますね。

ラルフ・ウォルド・エマソンは言います。

「君自身に固執したまえ、ゆめ模倣などしてはならぬ。君自身の天分なら、これまでずっと育ててきたその積み重ねの力を発揮してたえまなく表しつづけることもできるが、他人の才能をもらい受けた場合には、当座しのぎに、中途半端に、所有するだけだ」



               

相談というものは、予め自分の中で、妥当と思われる答を用意して、他人の判断力という能力を借りようとするものです。自分を失っている行為です。

医師にミルク療法(ミルクケア)のことを聞けば、当然否定的な答が帰ってくることは、質問者にもわかっているものです。その上での質問ですから、つまり馴れ合いということになりますね。サロンの会話のようなものです。
大切なことで馴れ合うことはできません。




専門家は専門以外まるで子供のように無知なものです。その専門分野でつねにさらなる認識を求めているので、人格の陶治が行われるのはまれなことです。ですから専門以外に対する判断は、子供のように好悪に満ちている場合を、学生時代からこれまでに多々経験しました。






                   


聖書ルカ4章によれば、イエスは荒野で悪魔の試みにあったとき、悪魔が『高い所から飛び降りてご覧なさい、神は御使いに命じてあなたを守らせるでしょう』というと、イエスは【あなたの神を試みてはならないといわれている】といって悪魔の挑戦を退けました。

私はこの逸話から、医師がどう答えるか(結果的に)試みてはならないということに通ずると思ったのです。深刻に真剣に考えればほとんどのことは自分で決定できるはずですね。真に問われているのは自身の命ですから。


                 



               

私が28年間生きてこられたのは、天の引き合わせのような、私の主治医との邂逅があったからです。

そして私が子供の頃から虫や自然との関係の中で教えられ、また培ってきた、総合的な直感力の賜物だと思っています。

               


                   





今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日










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