あれだけの大震災があったからもう大きな地震はこないだろうと思うのですが、それでも沿岸は安心できません。
※大船渡市/堤旅館
28年前の2月上旬私は仕事で大船渡にいました。ものすごく体が大儀で、歩くのも腰を落としてガニ股で歩くようでした。
大船渡の高台にある堤旅館
激しい咳とかなりの熱もあったようでした。旅館の部屋に帰るともう立っていられず、くずおれるようにして倒れ込みました。
風呂の用意をして階段を降りましたが、まともに歩いていられず壁づたいに歩きました。体を洗って湯舟に入ると、それはもうこれまでに経験したことのない気持ちの良さが沸き上がってきました。
おそらく体中の血液やリンパ液などの体液が、鬱滞なく巡ったからでしょう。
体液の循環という当たり前のことが、どれほど大切か痛感させられます。
ふとんの中でゆっくりとした気分になり、不眠症気味の私が穏やかに、知らぬまに眠りにつきました。
堤旅館のある高台
もしこの日に大震災があって、この高台ではなく低地に泊まっていたら、あの体調の私は無事に逃げられただろうかと今でも考えます。
体調の不良からくる積極性の低下によるモラトリアムの状態では、ついつい躊躇逡巡
して俊敏な判断ができず、逃げ遅れることもあるのではないかと思うのです。
2011年3月11日の東日本大震災による大津波は、この写真の土手上の道路の1米下まで迫ってきたということです。
私は盛岡に帰り、1987年2月5日岩手医大に入院しました。
5年生存率0%の「前縦隔原発-性腺外-胚細胞性腫瘍-非セミノーマ」の診断でした。
今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日
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