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朝日新聞デジタル 田之畑仁 2018年4月22日17時00分


「かつての優生保護法に基づき障害者らに不妊手術が強制された問題で、強制不妊手術をした北海道の80歳代の産婦人科医は、朝日新聞の取材に応じた。障害者支援団体の理事長も務める医師は「今なら許されないこと」としつつ、時代背景などを考えると「仕方がない面もあった」と、複雑な心境を明かした。


この医師は、公立病院の勤務医だった1967年、20歳前後の女性について、両親から不妊手術の相談を受けた。女性は知的障害があり、耳も不自由だったため、自分の意思を言葉で発することができなかった。本人の同意が必要ない旧優生保護法の第4条に基づき、道優生保護審査会に申請。認定を受けた上で不妊手術を行った。手術の費用は公費負担になったため、両親にも喜ばれたという。

 医師は、強制不妊手術に関わったのはこの1件だけだったといい、「子どもがいない若い女性に、本人の同意がないまま不妊手術をすることなど、今の時代ならありえない」と認める。

 一方で、当時の時代背景が大きく影響し「やむを得なかった」と振り返る。両親も女性の幸せを願って依頼してきたとし「この女性のような人が妊娠・出産しても、国や社会が面倒を見られる仕組みが整っていれば、話は違っていた」と話す。

 また、北海道の手術件数が全国最多だったことについては「肌感覚としては、そんなに多く行われていたというのは意外だ」。ただ、様々な分野で国の補助金に頼っていた当時の北海道の状況を踏まえ、「国の施策に従順にならざるを得なかったという特有の事情も考えられる」とみる。

 医師は「このような問題が二度と起こらないためにも、障害の有無にかかわらず、すべての人が安心して妊娠・出産できるような世の中をめざさなければならない」と話している。」


こういう、わかったようなことを言う偽善者が大嫌い。


「今なら許されない」って、当時なら許されんのか?


国が、社会が、時代がって、責任転嫁出来そうなもの全部拾い上げて責任転嫁。


お前がしたことは、障害者という属性に着目して、その子や孫を根絶やしにした、明確な「罪」。もちろんそういう法律を放置していた国会・裁判所の罪でもあるし、それを望んだ両親の罪でもある。

ただ、共犯者が多数いたところで、自分の罪が消えるわけではない。


この医師は、障害者の未来を奪い去った罪人。国だの、社会の仕組みだの、時代だのと、一見もっともらしい言葉を散りばめたところで、罪は消えない。


この医師が20歳前後の女性に強制不妊手術を行ったのは1967年。犠牲になった女性が35歳前後で出産すると仮定すると、その時は1980年代。社会の仕組みも変わっているだろうし(実際変わっている)、医療も進歩するだろう(実際進歩している)。そう想像出来なかったか。未来の可能性を考慮できなかったか。

想像も考慮もしなかったから、本人の同意のない不妊手術を行えた。自分もまた差別を実践した者だった。


それを善人ぶって「今なら許されない」じゃない。当時も今も絶対に許されない。


子を産むか否か、何を幸せと思うか、それを決めるのは本人だけ。その本人の意思を確認せずに行った不妊手術は、日本国憲法の保障する幸福追求権を侵害する明らかな人権蹂躙行為。この医師が強制不妊手術を行った1967年に日本国憲法が効力を有していたことは言うまでもない。


強制不妊手術を行った者、強制不妊手術を可能とする法律を放置した議員・裁判官、疑問も持たずに強制不妊手術に加担した者、それら全ての人間がすべきことは、贖罪だけ。


「今なら許されない」などと、詭弁を弄し、自己正当化を図ることではない。