ブログのタイトルにしている件について。

 

この言葉を知ったのは、去年くらい。

いろんなことに思い悩んでて、なーんでこんなに悩んじゃうんだろう。

悩み増えすぎだろうよ〜って思ってて、

 

たしか、

25歳 悩み

みたいな検索をして見つけたんだと思う。

今思えば、すごい悩んでる、、笑

 

簡単にいえば、この言葉は

人生を100年と捉えてその四分の一、つまりクォーターに区切った頃、

だいたい24〜26歳くらいの時期が、女性(に限らないかもしれない)にとって

悩んだり、決断すべき事にぶつかるよってこと。

クライシス(危機)がそれを表してるの。

 

確かに、この時期は四大出身の女性を例にとってみれば、

第一次結婚ブーム期に差し掛かるし、キャリアを継続するのか転職するのか岐路に立たされたり、

何かとこのままでいいのかな、次付き合う人が結婚?とか慎重になったり、将来のことを周りから聞かれ始めるような時期。

実際に私自身もそれを感じてた。

 

まだまだ自由だし、自分のために生きたいし、生きれると思ってるし、

でも、周りの変化に焦ったり、人は比べる生き物だから、悩む悩む。

飛び出すなら今?30前には、、あの子はもうこうしてる。私は??正解ってなに?

幸せってナニ?

ってなりやすいよなあ

生きづらい、、苦しい、、、。

て感じる頃には、結構思いつめちゃってるってこと。

 

みんないろんな形の人生を歩むし、正解もないし、

だけど、それでも悩んでしまうのが私たち。

私もすごくいろんなことに悩んでしまう。

悩みがない人なんていないんだけどね。

 

みんな人生の主役はやっぱり自分だから、

まだ子供も旦那さんもいない私の主役はやっぱり私なのです。

 

自由でいたい反面、何かに必要とされたり責任がある状態にも憧れたり、、

自身もないし、まだまだ子供だし、、って

結局は答えなんかでないんだけど。

 

まあそんなわけで、25歳、このクライシスの渦に見事にはまった私が、

このクライシスを悩んで、楽しんで、素敵な30歳になろうっていうつもりでこのタイトルにしてみた。

これからの冒険もちまちま書きとめていけたらいいな。

 

悩んで悩んで、それでも腐らず、いや、たまには腐ってもいいよね

ってなペースでいこう。

 

25歳って悩むよねほんと!!!うん!

未熟万歳!

ドキドキドキドキ

 

待ち合わせ場所に少し早くついて、ヘッドフォンをして音楽を聴いている。

実際には聴いていない。

流れているのに、ただそれは雑音に近くそわそわしている。

なんだか落ち着かなくて、ちょっと息苦しいくらいな気持ち。

 

久しぶりに感じるこの感覚は、限りなく恋している時に近いと思う。

 

まあ違ったんだけど。

昨日は、大学時代から仲の良い女友達と飲みに行った。

久しぶりだった。一年ぶりくらい。

そもそも、友人とご飯に行くのが3月半ばぶり。

コロナで。

 

18時半に待ち合わせした。

少し早く着くように行けるようになったのは、社会人を経験してから。

もともとは遅刻常習犯タイプだった。

 

こんなに家族以外の人と外で会わないことはなかったから、

脳が錯覚をおこしたに違いない。

もちろん彼女のことは大好きだ。気が合うし、食も合う。

だけど、合うまでのそわそわには自分でもびっくりだった。

人と関わることは本当に大事だと思ったし、しばらく会わないと緊張するもんだなあと思った。

 

初めてデートに行く感覚に似てる。

ちょっといいなと思ってる人と出かける時、緊張するし居心地が悪くなるのって不思議。

気をはってるってことなのかな。

あれは間違いなくドキドキ。

 

でもドキドキって感情をわりと私は大事にしている気がする。

異性に対して、いや好きな人に対して、ドキドキは欠かせない。

何度かドキドキを感じない相手と付き合うということを考えたこともあった。

でもそれは難しかった。

 

恋愛に限らず、仕事でのドキドキ。

ピアノの発表会前でのドキドキ。

合格発表待ちのドキドキ。

 

どのドキドキも似ているでちょっと違う。

でも説明しにくいなにか。

 

心地いいわけじゃないんだけど、

適度なドキドキは人生に刺激を与えてくれる気がする。

緊張=ドキドキ

ともまた違う気がするけど、ドキドキは良い。

 

苦しいんだけどね。

 

ドキドキがなくなった世界は、きっと物足りないだろう。

わさびがないお寿司。

タバスコがかかっていないピザ。

カラメルがないプリン。

みたいな。

 

 

これからもドキドキと共に生きたいな、と思う。

 

そんなことを感じたけども、

まあ以前まではよくよくよくある友人とのご飯(飲み)だったわけで、

うん、とても楽しかった。

相手に楽しんでもらいたいと思うし、私も楽しんだし、終始笑っていた。

 

当たり前のことができなくなった今、

今後だっていつなにが起こるかわからない。

 

一回の友人との外食だって、特別なのだ。

 

そう思っていたし、この自粛を通して心のどこかでそう感じていたから

きっとドキドキしたのだろう。

 

今はささいなことを幸せに感じるし、

特別に思える。

 

明日もドキドキしよう。明後日も。

 

そういえば、昨日初めて鮫の刺身を食べたけど、

ちょっとピンクでコリコリしていて美味しい。

鮫、

食べられる側だと思ってたよ。

イルカも鯨も食べたことあるから、なんか勝手にコンプリートしたような気持ち。

仲間じゃないかもしれないけどね。

 

JAWS、、、

母と妹が出かけた帰りにHARBSのケーキを買ってきてくれた。

 

何か特別なことでもあるの?ってなくらい、ケーキのお土産なんて嬉しいのもだ。

うちの家庭ではめったにないことである。

特に、ケーキはうちでは母が作るものとして存在してきた。

HARBSはチェーン店であるし、初めて食べるわけでなくとも、

ケーキの箱がお土産としてダイニングテーブルに置かれる様というのは、

見ていて気持ちがいいものだ。

 

HARBSは名古屋が本店らしく、結構このあたりでは昔から有名な気がしている。

私には思い出深いお店だ。

 

1カットが普通のケーキの1.5倍くらいあって、お値段もはるんだけど、

その満足感は大きい。ケーキって一切れ食べてもまだまだ全然いけるよ〜とか思っちゃうし。

 

学生時代はHARBSでランチするが多かった。

ドリンクがついてくるケーキセットより、パスタメインにハーフケーキのランチがお気に入りだった。

ませ始めた女子高生の私には、そのランチはおしゃれの象徴のように思えた。

 

習字の先生にもよく連れて行ってもらった。

先生はおしゃれなおばさんだと思う。

高校生になったくらいから、先生は名古屋の遊び場、栄へよくランチに連れてってくれた。

HARBSは先生のお気に入りの一つでもあったと思う。

 

ランチ時はきまって行列していて、なかなか席を見つけるのは難しいのだ。

お店の中はキラキラ女子と品のよさそうなおばさまが大半だ。

 

 

今日のケーキはやっぱり、ミルクレープとチョコレートムースのケーキ。

どちらも美味しいけど、HARBSといったらミルクレープ一択だ。

それも中のフルーツはイチゴとバナナはマストだ。

残念ながら今日は季節上メロンだったけど。

 

ミルクレープは一瞬でなくなった。

一人で食べたならお行儀が悪くても一枚一枚めくって食べてしまう癖を発揮していたところだ。

どうしてもたりたくなってしまう。

バウムクーヘンも然り。

 

食べながら、私はふと小学生の時を思い出した。

あれは、3年生くらいだろうか。

 

私はピアノを習っていた。

その日はグレードというピアノのレベルを証明する試験日だった。

思い返しても、あの試験を受けたのは最初で最期だったと思う。

 

どんな会場だったかも覚えていない。

何人かと椅子に座って順番を待ち、他人に見られながら演奏した。

大人も子供もいた。レベルはかなり初級だったはずだ。

曖昧な記憶。

かなり緊張していたと思う。

私はピアノは嫌いではなかった。むしろ好きではあったはずだ。

兄が習っていたから私もやるものだと思って始めたのか、おばがピアノの先生だったからなのか。

当時は別の先生に習っていた。

 

とにかく、幼い私は演奏した。

試験管が側にいた。

間違えたんだと思う。

終わった時、待っていた母の隣で私は泣いていた。

 

絶対落ちた。

そうボロボロ泣いた私を母はHARBSに連れてった。

いまでもなんとなく道の角、二階だったかな、という記憶。

あの店舗はどこだったのか、今日母に聞いてみたら久屋大通の方だった。

あの頃はどこが都会かなんて知らなかった、興味もなかった。

 

泣きながら食べたケーキの種類までは覚えていない。

ただ、ケーキを食べ終わる頃には涙がとまっていた。

ケーキひとつで機嫌がなおる単純娘だったのだとは思う。

でもあの日は確実にあのケーキに救われていた。

 

小さな私にはあのケーキはとても大きく、

甘くて大きい幸せの塊だったはず。

 

その日から、もう少し大人になるまではそうそう食べることはなかったと思うけど、

HARBSはそんな思い出でつまっている。

一口食べて思い浮かべる光景はピアノと涙とお母さん。

これからもずっと。

 

実際には、後日合格の知らせを受けるのだが、、。

あまりに私が落ち込んでいるもんだから、母が励まそうとしたのだろう。

 

食べ物と思い出と密接に繋がっている。

食い意地がはっている私にとっては、味覚は記憶を呼び起こす起爆剤。

この味は、いつどこでなにがあった、を指す。

 

これはそんな食の思い出のひとつ。

だから、何を食べるかって大事。

食はだだくさにしてはいけないし、なんでもいいわけではない。

一切れのケーキだって意味をもつ。

 

 

いつか、HARBSのケーキをホールで食べてみたいなあ

って野望は果たされるのかしら。

最近は他の独立した個人店に浮気してばかりだったけど、

HARBSの老舗感は特別。

きっとだれだって手土産でもらったらつい、にんまりしてしまうんじゃないかなあ。

 

 

今度は習字の先生をランチにお誘いしようかな。

また食べる日までさよなら。

赤飯

 

を連想させる出来事があった今朝。

 

さて、女の子にとって初めての生理、初潮がきた時に赤飯ってなぜか食べません?

でも何故?これまで長年生理という重く苦しく長い刑(個人差あり)と過ごしてきたのに

ふと気になった。

 

昔から日本では赤色は邪気を払うと考えられていて、神様に供えるお米を赤米にしていたんだとか。

そんな感じで厄払いとか縁起いいだとか、お祝い事ってなると赤飯を炊いて食べましょうや!ということだったみたい。

生理に関して言えば、子供もつくる能力が身につきましたよ!祝!

ということだそうだ。

 

赤飯、今でこそ美味しいなあって感じるけど、子供には嫌われ者のイメージがある。

私自身は好きでも嫌いでもなかった記憶だけど、まあどちらかといえば白米こそが米の王様っていう

刷り込みが脳にあったし、赤飯はどうでもよい存在だったかもしれない。

確かに、初潮は個人差もあるけど小学校高学年〜おそくても高校生くらいにはくる。

そんな若者キッズたちに赤飯をご馳走として味わえってのも渋い気はする。

だいたい豆って存在も不人気ランキングに入ってきそうなもんだし。

 

令和世代キッズにはもう赤飯ではなくって、ケーキとかアイスでもいいのかも。日本の風習もいいけどね。

お祝いしてくれる気があるんならね。

 

まあ、生理ってやつはやっかいなものだから、お祝いっちゃお祝いだけど、

女の子たちにとっては複雑だったりする。

 

私なんかは14歳っていう比較的遅めタイプだったこともあって、

自分だけきていないことに焦ってたかなあ。

だから、ほっとした覚えもあるし、女ってのをすごく意識させられて恥ずかしかったとも思う。

今思えば遅めだったのは正解だったように思ってる。

バリバリの運動部だったし、プールもあの頃は大好きだった。

小学校でくる子たちは、あんなやっかいものとうまく付き合ってたんだなあ。

私より何年も早く。大先輩だ、すごいことだ。

 

 

で、なんでこの話ってお祝いでもなんでもなく、むしろ

失敗なんだけど

今朝久しぶりにベッド大洪水(赤)してしまって、

用意周到にしたつもりが、私のは結構量が多めで。

わりかし困ってるんだよね。

 

目覚めは最悪だし、せっかくの7月のスタートなのに、、

朝から下着もパジャマもシーツも、その上にリスクヘッジでひいてるぶ厚めのタオルも、

薄めのマットレスまで!洗濯して掃除して、、気分はすっかりブルー。

でも母は嫌な顔せず、積極的にフォローしてくれるもんだから感謝だなあ。

母は偉大だ。ありがとう。そして不機嫌な空気で満たしてしまってごめんよ。

 

年々この生理ってやつがひどくなってきていて、

命の母を飲み始めた。これが効くみたい。

私は生理前の気持ちが不安定になったりイライラするPMSもひどいから、

うまく向き合っていかなきゃ。

 

まだまだこれから先の人生で何十年も付き合っていく友達なわけだから、

嫌い苦手言ってないで、歩み寄らなくちゃね。

自分の体なんだからさ。

 

そう、月初め”1日”のパワーはすごくって、

いつものブルーで活動できなくなっちゃうのから脱皮してみたのさ。

うん、大成功。いつもと違うことするのって生理ちゃんに効果てきめん。

 

トイレ掃除。してみた。

昔、トイレ掃除するとお金が貯まるとか言われて、

そしたら自分で隠してなくなったと思ってたへそくり(当時小学生)が見つかったことがあった。

だから、トイレ掃除をすればいいことがある気がしてやってみたけど、

正解。気分は晴れたからね。

イライラの渦から抜け出すのってなかなか大変だからさ。

 

料理もたくさんしてみた。

今は事情により家政婦の私(未婚)

おかずをいくつか気まぐれで作ったりしているけど

料理を黙々とするのもストレス発散法。

家族も喜んでくれたし、成功成功。

 

 

ブルーで始まった朝でも、赤飯で祝いたくなるような夜に変えることができる。

何気ない日常、憂鬱な出来事を考え方と少しの行動でよくしてこう。

 

いい日だった!明日は赤飯炊かなきゃかな?

 

大抵、月末最終日というのはろくなことを考えない。

1日という文字列に関して、”いちにち”と呼ぶのか、はたまた”ついたち”とよぶのか。

”いっぴ”とも呼べるっけ、なんだか入社式を思い出すようなおとだ。

 

だけども、私はこれを”希望”と読もうと思う。というか思いたいのだ。

 

誰がひと月をおよそ30日と決めたのかは全く知らないのだけど、

その決め事をしてくれた月神様(とここでは呼びたい)には本当に感謝しかない。

どんなひと月を送ろうが、必ず来月の”1日”はやってくるもので、

当たり前だけど、これが当たり前でどんなによかったか。

 

あくせく働いた一ヶ月、ダラダラ過ごした一ヶ月、同じ時間でも月によって人によって

その濃度は全く違う。お〜いお茶の普通味と濃い茶みたいに、ほら、全然違うでしょ。

 

私はよく月終わりになると、急にお化けがやってくる。

どうやら”希望”のいたずらを脳にしにくるようだ。

1日という文字列を見ると、ふつふつとある気持ちがこみあげてくるのだ。

ああ!明日からこれをしよう。先月はこれをやれなかった、今度こそ、といった感じで。

失敗しても1日からならやり直せる気がする。再スタート切符。

年に12回もその権利をもらえるのだからありがたい。

これは2日であってはならないのだ。絶対に。2日はどこまでいっても”ふつか”なのだから。

 

さて、前置きは長くなってしまったが、今日からブログを始めます。

ブログと日記は何が違うのかわからないけど、いいのです。

ただ思ったことを書き留めておくのは、いいかもなってくらいの気持ちなのだから。

本当はペンを持って、紙に書きたいアナログ人間ではあるのだけど、

う〜ん、三日坊主の私が一冊の日記帳を書き切れたことってあったろうか、ないな

というだらしない理由でここに書いてみることにしたわけで。

 

それにしても月神様よ、ありがとう。

もしも7月1日が2020年と180日という呼び方だったとしたら、このブログは生まれておりません。

7月希望にきぼうをもらってみよう。

 

おたんじょうびおめでとう。