母と妹が出かけた帰りにHARBSのケーキを買ってきてくれた。
何か特別なことでもあるの?ってなくらい、ケーキのお土産なんて嬉しいのもだ。
うちの家庭ではめったにないことである。
特に、ケーキはうちでは母が作るものとして存在してきた。
HARBSはチェーン店であるし、初めて食べるわけでなくとも、
ケーキの箱がお土産としてダイニングテーブルに置かれる様というのは、
見ていて気持ちがいいものだ。
HARBSは名古屋が本店らしく、結構このあたりでは昔から有名な気がしている。
私には思い出深いお店だ。
1カットが普通のケーキの1.5倍くらいあって、お値段もはるんだけど、
その満足感は大きい。ケーキって一切れ食べてもまだまだ全然いけるよ〜とか思っちゃうし。
学生時代はHARBSでランチするが多かった。
ドリンクがついてくるケーキセットより、パスタメインにハーフケーキのランチがお気に入りだった。
ませ始めた女子高生の私には、そのランチはおしゃれの象徴のように思えた。
習字の先生にもよく連れて行ってもらった。
先生はおしゃれなおばさんだと思う。
高校生になったくらいから、先生は名古屋の遊び場、栄へよくランチに連れてってくれた。
HARBSは先生のお気に入りの一つでもあったと思う。
ランチ時はきまって行列していて、なかなか席を見つけるのは難しいのだ。
お店の中はキラキラ女子と品のよさそうなおばさまが大半だ。
今日のケーキはやっぱり、ミルクレープとチョコレートムースのケーキ。
どちらも美味しいけど、HARBSといったらミルクレープ一択だ。
それも中のフルーツはイチゴとバナナはマストだ。
残念ながら今日は季節上メロンだったけど。
ミルクレープは一瞬でなくなった。
一人で食べたならお行儀が悪くても一枚一枚めくって食べてしまう癖を発揮していたところだ。
どうしてもたりたくなってしまう。
バウムクーヘンも然り。
食べながら、私はふと小学生の時を思い出した。
あれは、3年生くらいだろうか。
私はピアノを習っていた。
その日はグレードというピアノのレベルを証明する試験日だった。
思い返しても、あの試験を受けたのは最初で最期だったと思う。
どんな会場だったかも覚えていない。
何人かと椅子に座って順番を待ち、他人に見られながら演奏した。
大人も子供もいた。レベルはかなり初級だったはずだ。
曖昧な記憶。
かなり緊張していたと思う。
私はピアノは嫌いではなかった。むしろ好きではあったはずだ。
兄が習っていたから私もやるものだと思って始めたのか、おばがピアノの先生だったからなのか。
当時は別の先生に習っていた。
とにかく、幼い私は演奏した。
試験管が側にいた。
間違えたんだと思う。
終わった時、待っていた母の隣で私は泣いていた。
絶対落ちた。
そうボロボロ泣いた私を母はHARBSに連れてった。
いまでもなんとなく道の角、二階だったかな、という記憶。
あの店舗はどこだったのか、今日母に聞いてみたら久屋大通の方だった。
あの頃はどこが都会かなんて知らなかった、興味もなかった。
泣きながら食べたケーキの種類までは覚えていない。
ただ、ケーキを食べ終わる頃には涙がとまっていた。
ケーキひとつで機嫌がなおる単純娘だったのだとは思う。
でもあの日は確実にあのケーキに救われていた。
小さな私にはあのケーキはとても大きく、
甘くて大きい幸せの塊だったはず。
その日から、もう少し大人になるまではそうそう食べることはなかったと思うけど、
HARBSはそんな思い出でつまっている。
一口食べて思い浮かべる光景はピアノと涙とお母さん。
これからもずっと。
実際には、後日合格の知らせを受けるのだが、、。
あまりに私が落ち込んでいるもんだから、母が励まそうとしたのだろう。
食べ物と思い出と密接に繋がっている。
食い意地がはっている私にとっては、味覚は記憶を呼び起こす起爆剤。
この味は、いつどこでなにがあった、を指す。
これはそんな食の思い出のひとつ。
だから、何を食べるかって大事。
食はだだくさにしてはいけないし、なんでもいいわけではない。
一切れのケーキだって意味をもつ。
いつか、HARBSのケーキをホールで食べてみたいなあ
って野望は果たされるのかしら。
最近は他の独立した個人店に浮気してばかりだったけど、
HARBSの老舗感は特別。
きっとだれだって手土産でもらったらつい、にんまりしてしまうんじゃないかなあ。
今度は習字の先生をランチにお誘いしようかな。
また食べる日までさよなら。