今回はかなり湿っぽい話になるので、苦手な方は読まずに戻ってくださいませ。


 TM NETWORK 40th FANKS intelligence Days YONMARU


 TM NETWORKデビュー40周年記念のアリーナツアー。4月20日に有明ガーデンシアターにて初日を迎えるが、先日そのチケットが届いた。







 今までTM NETWORKやglobeのライブは弟と参戦していたのだが、そんな彼が急逝してしまった。


 お互いいい年だし異性の兄弟ということで特別に仲が良かったわけではない。その報に接した時も何故急にこんなことに!?と驚きながらも割と冷静だった。


 それが葬儀場で遺影を目にした瞬間、自分の中で何かが決壊した。甥姪の面倒をよく見てくれたこと。文句を言いながらも車で送り迎えをしてくれたこと。そして一緒に足を運んだライブのこと。今までの様々な思い出が一気に蘇ると同時に姉である自分や両親より先に逝ってしまったことに対する猛烈な怒りに襲われ、気を抜くと身体が崩れ落ちそうだった。


 司会の人に「弟さんの人となりを教えてください」と問われたが、何も考えられないし喋れない。

葬儀屋さんに「弟さんの身体に触って撫でてあげてください」と勧められたが、冷たく固くなった弟の身体に触れて彼の死を思い知らされるのが怖くて髪の毛に触れるのがやっと。


 弟がこの世からいなくなったという事実に自分がこんなにもうちのめされるとは思わなかった。まるで片翼がもがれてしまったようだった。葬儀の最中あまりに泣きすぎて鼻血が出て白いタオルが真っ赤になってしまい、同じく泣き腫らした母親からみっともないと叱られた。涙がとめどなく溢れる一方で、こんなに大量の水分を体外に排出してよく干からびないな、などと冷静に思う自分もいた。


 息子に先立たれた両親の嘆きようは見ていられなかった。逆縁の辛さは筆舌に尽くしがたい。若い人の葬式なんてもう二度とごめんだ。


 往々にして葬儀の湿っぽさは火葬の直前がピークな気がする。火葬が終わる頃には重苦しさは大分希薄になり、疲労と諦念が入り混じった独特の乾いた空気感になる。あたかもからからに焼き上がった骨のように。


 若いだけあって弟の骨は理科室にある骨格標本のごとくだった。骨壷に入りきらないのではと密かに心配していたら、職員さんがバッキバキに砕きながらぐいぐい詰め込んでいったので、その作業を見守る両親の心中を察すると少し胸が痛んだ。(関東住まいなので骨は欠片1つ残さず全部骨壷に納める) 頭蓋骨だって折角あんなに綺麗に残ったのだから砕かずそのまま祭壇に飾っておきたかった。ってなんか黒魔術の生贄みたいだな。もはや麻薬なんじゃないかと思わざるを得ない効能の薬名が沢山記されたお薬手帳の隣に安置し、それを毎日撫でてやりたかった。こんなこと誰にも言えないけれど。


 世の中的には一個人の些細な事情なんて知ったこっちゃない。喪失の悲しみとは無関係に容赦なく襲いかかる騒がしい日常と多忙極める仕事に助けられた。これらがなかったら立ち上がれず、打ちひしがれたままだったかもしれない。



 そして今、あまりにいつもの日常を送っているので、弟がいなくなった事実すら薄れてしまうことがある。いつものようにふらっと我が家に立ち寄りそうな気がして。こちらも「車で迎えに来て」と普通にLINEしそうになって。今まで通り飛ぼうとしたその時に自分にはもう片翼が無いことに気が付き地上に叩きつけられてようやく弟の不在を思い知る。そしてその事実に毎度呆然とし、呆然としている自分に愕然とする。

 納骨は出来ていない。あの日以降やたら線香臭くなった実家に安置されたままだ。きちんとお墓に納めないと成仏できない、とか言ってくる人もいるけれど、そんなん知ったこっちゃない。成仏出来る出来ないなんて自分が死んでみなきゃわかりっこないんだから、遺族の気が済むまま好きにさせて欲しい。


 手元に届いたチケットを眺めながら思い起こす。

 2022年9月にぴあMMアリーナで行われたTMのライブも弟と一緒だった。そういえばその時に腹痛を訴えていたっけ。「食べすぎじゃね?」と軽く流してしまったことを後悔している。その頃にはもう彼の身体はガンに蝕まれていたのだろう。


 彼から借りパクしていたTMのCDは葬儀の日にようやく本人に返した。そして彼の身体と一緒に空へと還した。あの日からTMは一切聴くことが出来ていない。下手に聴いてしまったらこの先ずっとTMの曲を耳にするたび弟の死が呼び起こされる気がして。そのためあの日から今現在までTM関連で聴けているのは、リストラーズの「Get Wild」ただこれのみである。


 20日の初日、平常心で参戦できるのか正直言って不安もある。TMの歌を聴いたりライブに行くことが弟の供養だとかそんな月並みな事を言うつもりはないけれど、3人に精一杯の歓声を送ろう。

 

 残された者はどんなに消沈しても絶望しても顔を上げて生きていくしかないのだから。




 


 ー今年の桜を見ることが叶わなかった弟の誕生日にー