PROJECT Fe 演劇プロデュース公演「DOLL」 | 知らずに死ねぬ程のものではない

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元映画暴食家最近はロコドルイベント通いがメインで、カメコのはしくれ。引退しても渡辺麻友推し。映画は時々観ている。最近は小説に挑戦している。

12月の始め。広島市青少年文化センターでPROJECT Fe 演劇プロデュース公演「DOLL」を観劇。なおネタバレだらけなので、御容赦を。

 

 

 

劇作家の如月小春が1977年に愛知県で実際に起きた女子中学生集団入水自殺事件をベースにした戯曲を舞台化した作品であった。時代設定は初演時と同じ1983年。舞台は愛知から鎌倉、女子中学生から女子高生に変えていた。

 

刑事達が女子高生集団心中事件を捜査するシーンと5人の女子高生達が寄宿制の高校に入学して自ら命を絶つまでの日常を交互に描く形であった。セリフが些か古めかしかったり一々唱和があるところはいかにも小劇場的であったが、5人の女子高生達の生い立ちと事情が刑事達の捜査会議や関係者証言という形で説明されるくだりはウマイなと思った。

 

みどりは中学まで親に学校に送られていた典型的な箱入り娘。初めて1人で登校した時道に迷ったり、勉強が苦手なのがコンプレックス。授業に付いて行けなくてパニくるあたり、おそらく学習障害なのだろう。

 

いづみは中学時代に生徒会々長に選ばれたことがあり、責任感強過ぎるリーダー気質。だがそれをクラスメイト達から便利に利用され面倒なことを押し付けられまくっているだけであった。

 

麻里は優等生。皆が遊びに行っている間も予備校の夏期講習に通っていて、昔風にいえばガリ勉であった。自由過ぎる京子に何処か憧れと嫉妬を抱いている。

 

京子は未成年でありながら平然と煙草をフカし、「ルールは破るためにあるんだよ」とうそぶいてみせる自由過ぎるトラブルメーカ―。複雑な家庭環境で育っていて、母親の証言での言動には何処となくネグレクト臭を感じた。

 

そして恵子は5人の中で唯一平凡で穏やかな家庭環境で育って高校入学時も夢と希望一杯だったので、イヤイヤ高校に入学した京子とはまさに好対照で、必然的にムードメーカーを担っていた。

 

とまあ、女子高生達のキャラの描き方は完璧だし、それぞれに何処か共感出来る要素があった。個人的にはみどりに一番共感したかな。演じたおとの好演が光っていた。

 

いづみ役の宮﨑香陽子は、広島大学演劇団卒業公演「書く女」(2018)で樋口一葉役、芝居空間侍エレクトリカルパレード公演「オズの陰陽使い」(2023)でヒロイン・なよ竹役を演じていた方だな。今回のいづみ役では「バカ」宣言する場面がよかった。麻里役の林香帆はAco時代から存じていたが、歌を一切歌わないストレートプレイの芝居は新鮮であった。

 

胤森淳監督の自主制作アクション映画『天使諜報★神宮寺真琴』シリーズで神宮寺真琴役だった山田明奈が“右耳”役で出ていて、黒スーツ姿で黒子、刑事役、証言者、モブキャラ等色々と演じたばかりか、衣裳チーフも担当していた。大谷翔平の二刀流どころじゃない活躍ぶりではないか。

 

ところで今回観劇した「DOLL」は前述した通り、初演時そのままの1983年が舞台となっている。僕が当時小学6年生だった頃だ。僕の記憶する限り、10代の若者達の自殺がとても多かった記憶がある。とにかく些細な理由であろうが、場合によっては理由がなかろうが、簡単に自ら命を絶っていた。

 

あの時期で僕の中でイマだに衝撃的で忘れられないのは、小学生の女の子が「おばあちゃんになりたくない」という遺書を残して自殺したことを報じた新聞記事であった。この女の子は一体何を見て、死を選ぶような絶望を覚えたのか。イマだに心に引っかかっている。

 

「DOLL」では恵子が交流していた上村という男の子の突然の自死が、これまでヤミと無縁であった筈の恵子の心に大きな影を落とし、それが死へと引きずり込まれて行くきっかけとなるのだから、上村はつくづく罪深いヤツである。僕が自死をいかなる理由があろうが許し難いなと思うのは、こういうところだ。5人の女子高生達もまたそこまで思いいたらなかったのだろう。未熟さゆえの後先考えない衝動としての自死は美しいとは思わない。残された者が場合によっては犯人扱いされて“人殺し”呼ばわりされながら後ろ指さされ続けることになるのだから。

 

とはいえ、ふと死にたい衝動に駆られることは誰にでもあると思う。正直申すと、僕自身も10代の頃は一瞬でも考えたことはあった。破滅型に憧れたことがあったので。でもそれ以上に死んじゃいけないという理性の方が強かったから、イマも生きている。

 

「DOLL」の5人の女子高生達は、恵子がおそらく理性の象徴的存在だったのだろう。その理性たる恵子がヤミに堕ちたことで、彼女達の暴走を止める者が誰もいなくなり、その結果、死へと向かって行ったのではないか。僕はそう考えている。

 

柄でもなく語りまくった。まあ、「DOLL」にはそれだけの力があるということだ。だからずっと再演が繰り返されてきたのだろう。