平成を振り返る・12「渥美清の死と『キッズ・リターン』、そして忌々しきメークドラマ」 | 知らずに死ねぬ程のものではない

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元映画暴食家最近はロコドルイベント通いがメインで、カメコのはしくれ。引退しても渡辺麻友推し。映画は時々観ている。最近は小説に挑戦している。

平成を振り返るシリーズ、12回目です。

 

今回は「平成8年」。この年の真夏。僕は初めて東京周辺を3日間一人歩きした。それもノープランで。

 

前夜に寝台特急で広島駅を出発し、目が覚めたら東京駅に着いていた。最初に足を運んだのは、浅草であった。でも朝早過ぎて、殆どの店はまだ開いてなかった。

 

あの後確かメトロに乗って原宿まで行って、そこから新宿まで延々と歩いたと思う。新宿に着いたら紀伊国屋書店に入ったり、とあるデパートでビートたけしと北野武展なんてのをやっていたので足を運んだ。そして丁度公開中だったバイク事故後の北野武監督復帰作『キッズ・リターン』をテアトル新宿で観たな。この時広島ではまだ公開されてなかったので、一足先に観れて得した気分だったな。

 

『あの夏、いちばん静かな海。』(「平成3年」1991年)に続き監督だけに専念したこの映画は、当時新人だった安藤政信と金子賢を主役に抜擢していて、ワリと王道な青春映画であった。まあ、所々にシニカルでカラッとしたユーモアがあり、突発的なバイオレンスがあるところは、やっぱり北野映画だな、と。更に安藤と金子にカツアゲされる少年役で、あのクドカンこと宮藤官九郎が出演していた。

 

 

こちらが『キッズ・リターン』出演時のクドカン(左側)。撮影当時24歳。まだ駆け出しの役者だった。かつて『ビートたけしのオールナイトニッポン』のハガキ職人(ラジオリスナーのこと)だっただけに、北野映画に出演出来たのはさぞかし嬉しかっただろう。

 

このクドカンが朝の連続テレビ小説『あまちゃん』、そして現在放映中の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』を手がけているのだから、今や大物脚本家である。その『いだてん』に、たけしを古今亭志ん生役に起用しているのは、一種の恩返しだな。

 

『キッズ・リターン』には北野監督の助監督だった清水浩監督が撮った続編『キッズ・リターン/再会の時』(「平成25年」2013年)が存在するが、主役は三浦貴大と平岡祐太にバトンタッチしていたし、時間設定も公開当時と同じになっていたので(『キッズ・リターン』はたけしの青春時代と同じ「昭和40年代」初頭という設定だった)、別モノ感があったね。

 

 

 

実は東京一人歩き初日に、日本映画界に衝撃的なニュースが駆け巡っていた。国民的人気シリーズ『男はつらいよ』の寅さん役だった渥美清の死だ。たまたま立ち寄った家電店のレコード&ビデオソフトコーナーで“追悼・渥美清”の棚があるのを見かけて、訃報を知った。

 

「昭和44年」8月に第1作が公開され、「平成6年」12月に公開された第48作『寅次郎紅の花』まで26年間も車寅次郎を演じ続け、日本全国を旅していた。僕は寅さんシリーズを専らTVで観ていたけど、「平成」に入ってから劇場で観るようになった。観た劇場は主に松竹東洋座だった。現在は八丁座になっているところだな。

 

初めてスクリーンで観た寅さんは、オーストリアのウィーンを旅した最初で最後の海外ロケだった『寅次郎心の旅路』(「平成元年」1989年)であった。この当時の寅さんは夏と冬の年2回ペースで公開されていて、『寅次郎心の旅路』は夏公開だった。同年冬公開の『ぼくの伯父さん』から吉岡秀隆演じる甥の満男が主役っぽいカンジになってきて、寅さんの出番がなんとなく控えめになった。更に寅さんシリーズの公開も冬のみとなった。この時期から渥美清の体調が思わしくなかったそうだ。

 

渥美清の遺作となった『寅次郎紅の花』は、TV版における因縁の土地・奄美大島と阪神大震災直後の神戸をロケしていて、寅さんが被災地にボランティアとして来ていたな。

 

寅さんの訃報を知ったら、無性に寅さんシリーズの舞台となった葛飾柴又の商店街に行きたくなり、2日目にそこへ足を運んだ。

 

実際に来た葛飾柴又の商店街は、ちょっと狭かったな。あのシネスコスクリーンで撮られていたので、広く見えたのかな。寅さんシリーズのアバンタイトルの締めの“原作・監督 山田洋次”とクレジット表記される際によく映された帝釈天の門も、そんなにデカくなかった。それから細川たかしのヒット曲「矢切の渡し」の舞台であった矢切の渡しがある河川敷もすぐ近くにあった。そういや、ここも寅さんがよくブラついてましたな。寅さんの妹・さくらと博御夫妻の家も確かこの辺だったっけ:。

 

渥美清が亡くなってから22年になるが、寅さんシリーズが始まってから50週年を記念して最新作が製作中とのこと。

 

 

 

 

 

「平成8年」の流行語大賞は、当時の巨人監督だった長嶋茂雄が発した「メークドラマ」か。忘れもしない。僕も含むカープファンにとって、「メークドラマ」というヤツは忌々し過ぎるワードなのだ。

 

何故ならば、この年のカープはシーズン中盤までは2位の巨人とは11.5ゲーム差を付けた首位独走状態で、このまま順調にリーグ優勝するかなと思われたが、7月の札幌シリーズで巨人相手にボコボコに打たれ、結果的に巨人の快進撃のきっかけを作り、あれよあれよと首位陥落。巨人は逆転リーグ優勝し、カープは最終的に3位となった。

 

……あれは悪夢としか云い様がなかった。

 

肝心な時に主要選手の怪我が相次いだのが、巨人の「メークドラマ」を許した要因だったが、特にサードを守っていた当時の主砲・江藤智が打球を顔面にマトモに喰らって戦線離脱したのが、かなり痛かったな。

 

そういうのを経験したので「平成28年」にカープが25年ぶりのリーグ優勝した時は、本格的に首位独走していていようがちっとも安心は出来なかったし、マジック点灯しても正直半信半疑だったね。

 

因みに「平成8年」にドラフト2位でカープ入団したのは、後にカープと大リーグのドジャース両方でエースとして活躍し、25年ぶりリーグ優勝したカープの精神的支柱となった黒田博樹であった。

 

 

次回に続く。