君の名は、麻友。 | 知らずに死ねぬ程のものではない

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元映画暴食家最近はロコドルイベント通いがメインで、カメコのはしくれ。引退しても渡辺麻友推し。映画は時々観ている。最近は小説に挑戦している。

20年前のこの日、3姉妹の末娘として生を受けた。

「麻の木の様にスクスクと育ち、友達を沢山作る子になってほしい」という願いを込めて「麻友(まゆ)」と命名したのは、祖母であった。

しかし小学4年生の頃、些細なきっかけからぼっち状態となってしまい、学校から帰ったら即刻部屋のパソコンに向かい、ネットサーフィンばかりする日々で、2年間も引き籠りに近かったとのこと。

そのネットサーフィンの中で麻友がたまたま見つけたのが、AKB48。

可愛い衣装を着て歌い踊る姿が、麻友にはキラキラ輝いているように見えた。

二期生オーディション募集していたので、反対する母親を説得して、受けた。

だが、このオーディションには落ちた。

二期オーディションは大島優子、オカロこと秋元才加、えれぴょんこと小野恵令奈等が合格し、チームKとなったのは御存知の通り。

だが諦め切れなかった麻友は、AKB三期生オーディションを受け、今度は合格。リベンジを果たした。

合格者には、麻友とは名コンビとなるゆきりんこと柏木由紀等がいて、チームBとなった。

でも麻友は公演デビュー早々足を怪我して、休養を余儀なくされたことがあった。あれで自己管理意識が強くなったのか、体調不良で休演することは滅多になくなった。

メジャー4作目シングル「BINGO!」で、麻友はゆきりんと共に初選抜入り。以降、AKBの選抜常連となる。

麻友は愛くるしい妹キャラぶりとアイドル性で頭角を現し、ゆきりんと共にチームBのエースとなり、“まゆゆ”というニックネームで呼ばれるようになった。

その結果が、最初のシングル選抜総選挙での4位だった。

この時まゆゆは、15歳だった。

後に“神7”と呼ばれた選抜上位7人の中では最年少で、この記録は現在もなお破られていない。

第2回選抜総選挙では、5位に一歩下がる。

当時感情がないCGアイドルと揶揄もされていたまゆゆが、悔しい感情を露に号泣した。

ここまでまゆゆが頬を濡らす程号泣したのは、この総選挙と、この間の渡り廊下走り隊解散ライブぐらいかも知れない。

今のところまゆゆとして、まゆゆ推しとしてちょっと幸せだったのは、第4回選抜総選挙の2位であろう。

あくまでちょっと幸せだ。

だがメジャー28枚目シングル「UZA」の不可解なセンター交代劇で水を差された形となり、初センターとなったメジャー30枚目シングル「So long!」にしても、相次ぐスキャンダルでガタガタの中でのリリースであった。

それでも連続ミリオンを途切れさせなかった。これはまゆゆのアイドルとしてのプロ意識の強さに救われたのではないかと思っている。

気がつけばまゆゆは、可愛い妹キャラから、美しいお姉様というか、神々しいまでの佇まいとなっていた。

それなのに第5回選抜総選挙、3位。

語り出すとギスギスしてしまうので、ここでは止めておこう。

この一年間のまゆゆは、悔しさをプラス志向に変えんばかりに、『ミュージックステーション』ではカメラ目線でおどけていたし、『めちゃイケ!』では加藤浩次相手にケンカコントを全力で演じていた。

まゆゆは聡明な女の子だ。

今の現状を良しとは思っていない。

何故、AKBの良心たるまゆゆに最高の景色を見せてあげられないのだろうか。

かなり長々と書いてしまったが、今日から20歳になるまゆゆ。誕生日おめでとう!

選抜総選挙1位をまゆゆにプレゼントしようではないか!

AKBの未来をまゆゆに託そうではないか!



「BINGO!」で初選抜入り当時のまゆゆ、13歳。