1970年、大阪万博
テーマ曲「世界の国からこんにちは」
三波春夫で一番に思い出すのが
「徹子の部屋」に出演していた時の事
シベリアに抑留された時の経験談です
二十代前半の4年間をシベリアで抑留生活を強いられていたのに
その時の出来事を笑顔で話していたのでびっくりi
というのも私の父の従兄弟がシベリアに送られ
我が家でその当時の話をした時のことです。
嗚咽を堪え、涙をポロポロと流したのです。
子供だった私は大人の男の人が
人前で声をあげて泣いたのを見たのは初めてでした
あの時、幼かった私は何を話していたか理解できませんでしたが
後になって母が話してくれたのは
昨夜まで話をしていた友が朝起きてみると冷たくなっていた。
その人ばかりではなく何人も同じように亡くなっていった
でも
自分は生きて帰り遺族に友の最後を伝えなくてはならないと思い
必死になってソビエトのプロパガンダに同調するフリをして
演説に拍手をした。
悔しかった!
でもこうする他、帰国できる見込みはなかったのです
田中武一郎・画
シベリア抑留絵画展より
三波春夫も同じ経験をしたはずです
食べ物はわずか、極寒の地で寒さに耐える日々
なのに笑顔でシベリアの話しをしていました。
人間馬橇
無事帰国した三波春夫は
戦後、浪曲が廃れていき客が入らなくなった時のことをテレビで話していました。
幕が開くとお客がパラパラ
次の日はもっと少なくなり
毎日毎日、客が減っていく
ついに一人もいないところで演じました。
隙間風が入るようなところですから雨の音が聞こえてきます。
表には看板を出しているのでいつ客が入ってくるかわからない
途中で辞めるわけにはいかないのです
それを聞いていたインタビュアー(高橋圭三だったと思います)が涙ぐみ
「お客さんの一人もいないところで演じられた、辛い経験をされたんですね」
「はい、いつもより時間が長く感じられすごく辛かったです」
と笑顔で話していました。
インタビューしている人が声を詰まらせて涙声なのに
三波春夫は終始笑顔でした
不思議な人です
その後、浪花節に見切りをつけて歌手になったのが34歳
遅いデビューでしたが翌年
「チャンチキおけさが」が大ヒット
月がわびしい 路地裏の
屋台の酒の ほろ苦さ
知らぬ同志が 小皿叩いて
チャンチキおけさ
おけさせつなや やるせなや
ついに大舞台
歌舞伎座での初公演、
しかし
初日の前夜は眠れない
以前、客席に誰もいない事がトラウマになったため
翌日
幕が開くと満員!
思わず
「お客様は神様です」
この時には涙を流したのではないでしょうか?
戦後80年
1964年の東京オリンピック、
「東京五輪音頭」
その6年後
1970年、大阪万博
「世界の国からこんにちは」
高度成長の波に乗った人ですね。
それから2020年には
東京オリンピック(コロナのため実際には2021年)
また
2025年 現在
大阪万国博覧会が開かれています
大切な仲間を何人もシベリアで亡くした父の従兄弟は故郷、
徳島に帰り小学校の教員になり後に校長になりました。
シベリアで亡くした友の遺族に亡くなられた方達の最後を報告ができたと思います。
彼の地で無念な最後を遂げた人に
合掌
鰤の照り焼き
三毛猫の大根おろし添え
ご訪問ありがとうございました。
文、料理;しらさぎさちこ
イラスト、三毛猫の大根織し;しらさぎさやか
写真;しらさぎ二郎