今日のお花:花菖蒲
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中国の思い出
中国に行く頻度が一番多かったのは80年代後半でしたが、その後もよく仕事で出張しました。その都度だんだん余裕が出て来て、仕事の幅も増え、街を見る視点なども複眼になって来たと感じています。
最近日本では「一体中国のどこが良いんですか?」と聞かれることが多くなりましたので、努めてて中国の良いところ、私たちを惹きつけてくれるところに力点を置いてお話しするようにしています。
夜光の杯
最初に買ったのは1980年台中頃の北京だったのではないかと思います。
当時なかなか手に入らなくて、北京や蘭州などで見つけるたびに少しづつ買い増して行きました。
今ではだいぶ数も増えました。そんなにお値段は張りませんが、わが家の宝物です。
箱も一緒に。
夜光の杯を詠った唐代の詩人、王翰の詩。
涼州詞 王翰
葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人戻
仙人洞
雲南省個旧の近くにある大きな鍾乳洞の入り口。90年代始め頃。
残念ながらこの1枚しかありませんが、この洞窟、奥の深いことには驚きました。洞窟の中、運河がどこまでも続くのです。小舟で小一時間も入るといろんな舞台があって、民族舞踊が楽しめるようになっていました。中の照明もカラフルで、地下のいくつかの街を回るような感じです。
ネットから写真をいただこうとしましたが、なんと鍾乳洞や洞窟の画像が沢山ありすぎて、どれがこの洞窟と一致するのか、比定ができず、ギブアップ!中国の田舎のブログで事実関係を確認するのは至難の技です。何しろ雲南の洞窟の写真の隣には山東省の写真が、その隣には日本の高知県の洞窟の写真が出てくるんですから。しかもなんの説明もなしに…。
この出張の時のことでした。個旧市政府が日本からの我々ミッションを歓待するということで、この日の夜、市に一つしかない招待処に案内してくれました。1階がレストラン、2階がダンスホール、そして3階がカラオケバー。その日はここの招待処は予約で満杯だったのですが、市政府が警察の部隊を派遣して我々が招待処に入れるようにしてくれました。(公用のため、公式排除です。びっくりですねー!)
案内されたダンスホールに入ってさらにビックリ。若い女性が沢山我々を待機してくれていたのです。踊りながら「あんただーれ?」と聞いて見ると、「私はここの幼稚園の先生」、「私は病院の看護婦」、「私はオフィスで働いてるの」と言った極めて真面目な答えが帰って来るのにも驚きました。中国の政治権力の力って、凄いですね。
北京大学同窓会
とは言っても正式なものではありません。2000年代始め頃、重慶で市の幹部と食事を共にしたときのこと。私が北京大学で中国語を勉強したことがあるのがわかると北京大学出身の人たちが集まって来て、白酒で乾杯が始まりました。隣の人が飲まなければその人のぶんを合わせて二人分で乾杯。立って飲んでいるのはほとんどが地元の人になってしまいました。
私は地元の人からも気に入られ、日本からの友人諸兄からも飲み手として頼りにされて、大感激でした。いつどうやって部屋に戻ったか、まるで記憶にありません。生涯こんなに飲んだのは初めてではなかったでしょうか。あとで聞くとこの日、重慶飯店の白酒の在庫がゼロになってしまったとか…。
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たまにはお仕事…。
遊んでいたばかりではありません。
90年代半ば頃、甘粛省蘭州にて。レクチャーをする若き日のしらさぎ二郎さん。
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今日の2品
酸辣湯
重慶を思い出しつつわが家のシェフに辛めの酢辣湯を作ってもらいました。なんでも出てくるところがすごい!しかも味も抜群。
豚の生姜焼き
少しばかり日本味噌を加えて和風の豚肉の生姜焼きを作りました。これもなかなかいけます。
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と…、お散歩しながら下を向いて昔のことを考えていると、突然すれ違ったおじいさんが、振り返って大きな声で話しかけて来ました。
なんだか元気を沢山もらいました。また会えるでしょうか。
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雲南、良いところでしたよ。私も機会があればまた行ってみたいです。
ご訪問ありがとうございました。








