映画 『 生きる 』 ~ 大川小学校津波裁判を闘った人たち | 南紀白浜で暮らす

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長年住み慣れた大阪から石垣島に移住。その後、2011年に南紀白浜に移住しました。
南紀白浜を中心とした素晴らしい景色や行事、アドベンチャーワールドのパンダなどの動物達のこと。
そして日々の生活、好きな旅行や海の中のことなどについてもご紹介したいと思います。

今年も今日を含めて残り5日。

 

今年最後の満月が最大となるのは、今日の午前9時33分ですが、昼間なので見えません。

 

写真は、昨夜午後8時20分頃の十三夜です。見た目には満月に見えます。

 

 

いつまでもこんな美しい月を眺めたいものですが、明日のことは誰しも分かりません。

 

 

今月の23日、白浜町十九渕のキミト☆ミライで行われた防災マルシェで、

    『 生きる 』

      ~ 大川小学校津波裁判を闘った人たち 

 

というタイトルの映画が上映されました。

 

 

大川小学校跡には、これまでに 2回現地に赴き見学しました。

 

今回、映画があることを知り、58歳から保護司のボランティアの仕事以外したことのないリタイヤ組の私には関係ありませんが、仕事をしていた頃の癖と言うか何というか、重要な関心事になっているので、見に行って来ました。

 

 

東日本大震災では、宮城県石巻市の北方約9.5キロに位置する南三陸町立戸倉小学校では、津波が学校の屋上の遥か上を襲って行きました。

 

しかし、当時学校にいた91名の児童全員が、教師の的確な判断と行動により避難して全員助かりました。

 

 ブログ 「 南三陸町の被災地の見学 ( 戸倉地区 ・ 中心部 )」

    →  こちら です。

 

 

一方、石巻市立大川小学校では、児童74名と教職員10名が津波で亡くなりました。

 

 ブログ 「 石巻市内被災地の見学 ( 日和山公園から ・ 大川小学校跡 ) ( 追伸 訴訟結果 )」

    →  こちら です。

 

 

「 あの日何があったのか 」、

数回行われた学校関係者などによる遺族への説明会では、説明に 「 嘘 」 が多く、更に 「 嘘の上塗り 」 もあって、このままでは真実を知ることが不可能だと思った遺族が、事案の真相解明と責任を追求するため、石巻市と宮城県を被告に国家賠償請求の裁判を提起 ( 2014年3月 )  しました。

 

映画は、最高裁の決定 ( 2019.10.10 ) に至るまでの遺族らの苦難の闘いの記録を映画化した記録映画です。

 

 

一審地裁は、避難誘導を行った教職員の行為を捉え過失を認定しました。

 

控訴審の仙台高裁は、

震災前の学校の防災体制に不備

  学校の実情に沿って危機管理マニュアルを改定する義務がある       

  のに怠った。

  市教育委員会はマニュアルの不備を是正するなどの指導を怠っ

  た。

があったとして、市、県、国の事前の行為を捉えて、組織過失によって子供たちの命が奪われたと断罪し、教職員、学校管理職、教育委員会を含む行政組織についても過失を認定しました。

 

上告審の最高裁は、これを指示 ( 裁判官5人全員の結論 ) し、裁判は確定しました。

 

 

私は、「 不作為による過失の認定 」 について、何回かこのブログでも取り上げていますが、

日本科学教育学会においても、今回のこの最高裁の確定 ( 判決で示された考え方 ) は、他の自然災害にも間違えなく拡張されていくことが予想されると述べています。

 

 

こうして、弁護団僅か2名と遺族が証拠集めをして粘り強く闘ったことにより、新しい判断が出来たことは大変意義深いことだと思います。

 

 

映画の中の説明会の場面で、

我が子の最期がなぜ学校だったのか。

何故大川小学校だけに多くの犠牲者が出たのか。

との遺族の問い掛けがありました。

 

市側の関係者は、遺族への説明会で、

「 これが自然災害における宿命だ。」

と、発言しました。

 

「 宿命??? 」  あり得ない。。。。

とんでもない発言。

 

これは、自己保身で、責任を問えない自然に責任を押し付けようとする許されない発言だと思います。

映画を見ていて、強く憤りを感じました。

 

 

裁判官は、学校が、こどもの命の最期の場所になってはならない。

と断罪しています。

 

 

今年の10月の見学のブログで、大川震災伝承館のことについても触れましたが、伝承館内には、こうした遺族の活動や教職員のとった行動などについて伝えるコーナー ( スペース ) が余りにも小さ過ぎます。

 

これでは、見学に来た人に、被害の事実を伝えるだけで、他の伝承館と同じような教訓しか得ることができないと思います。

 

大川小学校の大惨事の教訓を生かすためには、多くの児童が亡くなった原因を伝えるコーナーをもっと広げ、正しく伝えるべきだと、私はそのように思います。

 

そうでなければ、単に自然災害の恐さだけが独り歩きして、「 これが自然災害における宿命だ。」 的な考え方になってしまい、また過ちを繰り返してしまうのではないかと危惧しています。

 

 

映画が終わった後、主催者と、裁判で闘って来られた遺族の代表者の方とラインビデオ電話でお話をされ、その後、質疑が行われました。

 

 ( 主催者からSNSへの投稿の許可を得ています。) 

 

 

後方に見えているのは、この時の大川小学校跡です。

 

 

会場には、井澗 ( いたに ) 誠 白浜町長や、町の防災担当者も来られていました。大変心強く思いました。

 

南海トラフ巨大地震・巨大津波の発生が押し迫っている現在、

 

     攻めの防災対策 ( 防災機能の強化 ) 

 

が必要ではないかと思います。

 

 

なお、大川小学校で助かった児童4名と教師1名について、全員裏山に逃げたと以前から書いていますが、実際には児童1名と教師1名が裏山に逃げ、他の児童は、他の方法で助けられたことが映画で分かりましたので訂正させていただきたいと思います。

 

 

以下は、当日の防災マルシェの模様です。

 

 

 

避難所で一番困るのはトイレではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 キッチンカーも来られていました。

 

 

 

自衛隊の車両やパトカー、白バイも展示され、関係するブースもありました。