「 黄砂 」 の最も激しいという今日でしたが、白浜町や世界遺産大辺路協議会などが主催する、きのくに県民カレッジ連携口座、『 ふるさとの山を歩こう 』 (大辺路富田坂) に行ってきました。
熊野古道の一つ、「 大辺路(おおへち) 」 は、田辺から熊野三山 ( 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社 ) へ通じる海辺の参詣道です。
大辺路でよく知られているのは、富田坂の他、仏坂、長井坂ですが、今回は、世界遺産に登録されている富田坂を歩くもので、
白浜町の富田にある 「 草堂寺 」 から山の方に入って 「 安居 (あご) 辻松峠 」 を越え、日置川の 「 安居渡し場 」 までの約16キロのコースを、語り部の大辺路富田坂クラブの語り部、浜田さんの説明を聞きながら歩きました。
今日は、心配された黄砂や花粉の影響もなく、と言うか、ないと思いますの方が正解かもしれませんが、いずれにしても、そうした環境を気にせずに歩くことができました。
気温もかなり上がり、現在、半袖Tシャツ姿ですが、大辺路歩きも、半袖の方もおられましたし、また腕まくりをされている方も見かけました。
それでは、世界遺産 熊野古道 大辺路 「富田坂」を歩く旅に出発したいと思います。
富田坂の入り口にある、草堂寺です。
臨済宗の禅寺で、江戸中期の画家 長沢芦雪のゆかりの寺です。
草堂寺については、何時かゆっくり訪ねてみて、またご紹介したいと思います。
まるでお城のような石垣です。
草堂寺の石碑の横に、「 くまのみち 」 と彫られた石碑があります。指が右の方向を差しています。
指の差す方向に進み、そして草堂寺を左に曲がり、石垣塀に沿って階段を登っていきます。
そして、竹林の中を進みます。
「 一里松跡 」 です。
紀州藩は、特に道を大切にしていて、よく整備したそうです。
そして、距離が分かるように、一里ごとに 「 松 」 を植えたそうです。それで 「 一里松 」 と言われるようになったとのことです。
「 一里松跡 」 の所に、4基の石碑があります。
その内の1基は、1647年銘の板碑で、「 南無阿弥陀仏 」 と彫られています。
一里松跡の前の山が、「 馬谷城跡 (うまんたに城跡)」 です。
このお城は、人の住むところではなく、戦闘用のお城だったそうです。
草堂寺からここまで、0.3キロ、峠の茶屋跡まで、3.6キロの道標です。
馬谷城跡付近からは、「 七曲がり登り口 」 までは、道幅も十分な林道が続きますが、ここから、「 七曲がり登り口 」 までは、世界遺産には登録されていないそうです。
袋川の畔を進みます。
袋川には、昔は沢山のウナギがいたそうです。
昔は、この辺りにも人家、田畑があったそうです。
その証に、シュロが植えられています。
シュロは、葉っぱも皮も色々な使いようがあったそうです。
「 七曲がり登り口 」 です。
ここからは、世界遺産に登録されています。
最初は平坦な道でしたが、
段々、急な、と言ってもそんなにも急ではありませんが、急な山道に入りました。
一つめの曲がり道です。
これは、二つめのカーブだったでしょうか。
カーブは、七つだから 「 七曲がり 」 ということですが、10以上はヘアピンカーブがありました。
でも、4つ目くらいまでは覚えていたのですが、知らない間に 「 七曲がり 」 は終わっていました。
語り部さんの浜田さんのお話では、知らない間にカーブが終わってしまうのが、良いそうです。
突然、パッと視界が開けました。
湯崎半島が一望できる所なのに、残念ながら霞んでしまって、よく見えませんでした。
でも、南紀白浜空港などが、うっすらと見えました。
景色が一番良く見えるのは、11月ごろだそうです。
「 七曲がり 」 が終わり、白浜半島が一望できる所を過ぎると、平坦な道が続きました。
ここも眺望の良いところです。
霞が、、、。 本当に残念です。
「 峠の茶屋跡 」 に到着です。
この茶屋は、1919年(大正8年)まで、約250年間営業されていたそうです。
当時の面影はあまりありませんが、割れた石臼がありました。
「 峠の茶屋跡 」 から少し行くと、大きな石があり、そこには墨で文字が書かれていました。
語り部さんの説明によると、「 この石は神なり ……」 とかかれていて、約250年前に書かれたものだそうです。
約250年間も、よく消えなかったものです。
ここは、白浜町の椿温泉の方に下りて行く分かれ道となっています。
この道を椿温泉の方に下りていくと、その昔、富豪の娘、「祝」が、お嫁に行くときに、沢山の嫁入り道具と共に滝を持参したという伝説のある 「 祝の滝 」 があるそうです。
今回は、コースではないので行くことができませんが、いつか行ってみたいと思います。
「 安居辻松峠 (あごつじまつとうげ) 」 までは、あと0.8キロです。
平坦な道を進みます。
「 安居辻松峠 (あごつじまつとうげ) 」 到着です。
「草堂寺」を出発してから、約2時間15分かかりました。
この峠は白浜町富田と、現在は合併したので、日置川町ではなく白浜町になりますが、日置川の安居の境界にあります。
また、草堂寺から安居辻松峠までを 「 富田坂」 と言い、安居辻松峠から三ヶ川までを 「 安居坂 」 と言います。
世界遺産は、ここで終わりです。
「 安居辻松峠 」 は、和歌山から23里(約92キロ)の地点にあり、富田と安居の境界であったことから、昔は、その両側に塚が築かれ、そこには松が植えられていたそうですが、昭和18年の山火事で焼けてしまったそうです。
写真に写っているのは、その焼けた松です。
また、同地には、舟形光背の地蔵立像が祀られていて、その台石部には、「 安居村 」 と彫られています。
ここで、30分間の休憩。昼食をとりました。
「 安居辻松峠 」 から 「 安居の渡し場 」 については、「 その2 」 でアップしたいと思います。