世界遺産 熊野古道 大辺路 「富田坂」を歩く (その1) | 南紀白浜で暮らす

南紀白浜で暮らす

長年住み慣れた大阪から石垣島に移住。その後、2011年に南紀白浜に移住しました。
南紀白浜を中心とした素晴らしい景色や行事、アドベンチャーワールドのパンダなどの動物達のこと。
そして日々の生活、好きな旅行や海の中のことなどについてもご紹介したいと思います。

「 黄砂 」 の最も激しいという今日でしたが、白浜町や世界遺産大辺路協議会などが主催する、きのくに県民カレッジ連携口座、『 ふるさとの山を歩こう 』 (大辺路富田坂) に行ってきました。

 

熊野古道の一つ、「 大辺路(おおへち) 」 は、田辺から熊野三山 ( 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社 ) へ通じる海辺の参詣道です。

 

大辺路でよく知られているのは、富田坂の他、仏坂、長井坂ですが、今回は、世界遺産に登録されている富田坂を歩くもので、

 

白浜町の富田にある 「 草堂寺 」 から山の方に入って 「 安居 (あご) 辻松峠 」 を越え、日置川の 「 安居渡し場 」 までの約16キロのコースを、語り部の大辺路富田坂クラブの語り部、浜田さんの説明を聞きながら歩きました。

 

今日は、心配された黄砂や花粉の影響もなく、と言うか、ないと思いますの方が正解かもしれませんが、いずれにしても、そうした環境を気にせずに歩くことができました。

 

気温もかなり上がり、現在、半袖Tシャツ姿ですが、大辺路歩きも、半袖の方もおられましたし、また腕まくりをされている方も見かけました。

 

それでは、世界遺産 熊野古道 大辺路 「富田坂」を歩く旅に出発したいと思います。

 

 


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   (白浜町のHPより引用)

 

 

 

 

 

富田坂の入り口にある、草堂寺です。

 

臨済宗の禅寺で、江戸中期の画家 長沢芦雪のゆかりの寺です。

 

草堂寺については、何時かゆっくり訪ねてみて、またご紹介したいと思います。


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まるでお城のような石垣です。

 

 


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草堂寺の石碑の横に、「 くまのみち 」 と彫られた石碑があります。指が右の方向を差しています。

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指の差す方向に進み、そして草堂寺を左に曲がり、石垣塀に沿って階段を登っていきます。

 

 

 

 


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そして、竹林の中を進みます。

 

 


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「 一里松跡 」 です。 

 

 

 

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紀州藩は、特に道を大切にしていて、よく整備したそうです。

 

 

 

そして、距離が分かるように、一里ごとに 「 松 」 を植えたそうです。それで 「 一里松 」 と言われるようになったとのことです。

 

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「 一里松跡 」 の所に、4基の石碑があります。

 

その内の1基は、1647年銘の板碑で、「 南無阿弥陀仏 」 と彫られています。


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一里松跡の前の山が、「 馬谷城跡 (うまんたに城跡)」 です。

 

 


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このお城は、人の住むところではなく、戦闘用のお城だったそうです。

 

 

 

草堂寺からここまで、0.3キロ、峠の茶屋跡まで、3.6キロの道標です。

 


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馬谷城跡付近からは、「 七曲がり登り口 」 までは、道幅も十分な林道が続きますが、ここから、「 七曲がり登り口 」 までは、世界遺産には登録されていないそうです。

 

 


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袋川の畔を進みます。

 

 

袋川には、昔は沢山のウナギがいたそうです。

 

昔は、この辺りにも人家、田畑があったそうです。

 


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その証に、シュロが植えられています。

シュロは、葉っぱも皮も色々な使いようがあったそうです。

 

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「 七曲がり登り口 」 です。

 

 

 

 

ここからは、世界遺産に登録されています。

 


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最初は平坦な道でしたが、

 

 


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段々、急な、と言ってもそんなにも急ではありませんが、急な山道に入りました。

 

 

 

一つめの曲がり道です。

 


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これは、二つめのカーブだったでしょうか。

 

 


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カーブは、七つだから 「 七曲がり 」 ということですが、10以上はヘアピンカーブがありました。

 

 

 

でも、4つ目くらいまでは覚えていたのですが、知らない間に 「 七曲がり 」 は終わっていました。

 

 

語り部さんの浜田さんのお話では、知らない間にカーブが終わってしまうのが、良いそうです。

 

 

 

突然、パッと視界が開けました。

 

 


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湯崎半島が一望できる所なのに、残念ながら霞んでしまって、よく見えませんでした。

 

 

 

でも、南紀白浜空港などが、うっすらと見えました。

 

 

景色が一番良く見えるのは、11月ごろだそうです。

 

 

 

「 七曲がり 」 が終わり、白浜半島が一望できる所を過ぎると、平坦な道が続きました。

 

 


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ここも眺望の良いところです。

 

 

霞が、、、。 本当に残念です。


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「 峠の茶屋跡 」 に到着です。

 

 


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この茶屋は、1919年(大正8年)まで、約250年間営業されていたそうです。

 

 

 


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当時の面影はあまりありませんが、割れた石臼がありました。

 

 


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「 峠の茶屋跡 」 から少し行くと、大きな石があり、そこには墨で文字が書かれていました。

 

 


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語り部さんの説明によると、「 この石は神なり ……」 とかかれていて、約250年前に書かれたものだそうです。

 

 

 

約250年間も、よく消えなかったものです。 

 


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ここは、白浜町の椿温泉の方に下りて行く分かれ道となっています。

 

 

 

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この道を椿温泉の方に下りていくと、その昔、富豪の娘、「祝」が、お嫁に行くときに、沢山の嫁入り道具と共に滝を持参したという伝説のある 「 祝の滝 」 があるそうです。

 

 

今回は、コースではないので行くことができませんが、いつか行ってみたいと思います。

 

 

「 安居辻松峠 (あごつじまつとうげ) 」 までは、あと0.8キロです。

 


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平坦な道を進みます。

 

 


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「 安居辻松峠 (あごつじまつとうげ) 」 到着です。

 

 

 

「草堂寺」を出発してから、約2時間15分かかりました。

 

 

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この峠は白浜町富田と、現在は合併したので、日置川町ではなく白浜町になりますが、日置川の安居の境界にあります。

 

 

 

 

また、草堂寺から安居辻松峠までを 「 富田坂」 と言い、安居辻松峠から三ヶ川までを 「 安居坂 」 と言います。

 

世界遺産は、ここで終わりです。

 

 

 

「 安居辻松峠 」 は、和歌山から23里(約92キロ)の地点にあり、富田と安居の境界であったことから、昔は、その両側に塚が築かれ、そこには松が植えられていたそうですが、昭和18年の山火事で焼けてしまったそうです。

 

 

 

写真に写っているのは、その焼けた松です。

 


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また、同地には、舟形光背の地蔵立像が祀られていて、その台石部には、「 安居村 」 と彫られています。

 

 


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ここで、30分間の休憩。昼食をとりました。

 

 

 


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「 安居辻松峠 」 から 「 安居の渡し場 」 については、「 その2 」 でアップしたいと思います。