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自分と相手との「間」のことを「間合い」といいます。
これは、対人関係や格闘系のスポーツでは必要な体感認識ですね。
間合いのことを「距離」という表現も出来ます。
この距離は、対人関係でも格闘系のスポーツでも、一歩間違えば「命取り」に関わるあたりですね。
球技系のスポーツでは、自分と仲間との間合いなどを重点として考えて動きますね。
間合いを計る・・・。間合いをとる・・・。間合いを読む・・・。
対人関係とは、「間合い関係」・・・でもあります。
このように考えると、間合いの存在しない世界など、ありません。
地球と太陽と月も、ちょうどいい間合いを保っていますね。
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それでは、実質的に、自分と相手との「間合い」を計るとき、どのように感じ取っていますか?
自分の前から歩いてくる見知らぬ人との「間合い」を参考にして説明してみましょうか。
眼で見て計って感じ取る?(相手の顔を見ながら?)
物差しを使って計る?(あり得ません・・)
腕を伸ばして距離感を感じ取る?(まさかね!)
自分と相手との「間」を、感情面とか思い込み面などで計ろうとすると、どうしても実質距離よりも「ココロ的距離感覚」が入ってしまいます。
それだと「本当の距離」を計ろうとすると、狂ってしまいます。
相手に対して恐怖感があったり、対人関係恐怖症などがあったりすると、間合いを読み取る距離感は、不安定となってしまいます。
そのような気分や気持ちや感情やココロなどは、間合いを感じ取るためにはあまり介入して欲しくないものです。
いちばん、素朴な? 地味な? 距離感覚を「計測」出来るのは、地面の上での自分と相手との距離です。
相手の顔を見たり、動きを見たり、姿全体の方に眼がいってしまうと、「本当の距離」は分からなくなってしまいますから。
ですから、自分と相手との「間合い」を、ブレずに感じ取るには、「地面の上での自分と相手との距離を感じる」のがいちばんです。
相手の人の顔を見ると、距離感が狂いますよ(本当です)。
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それでは具体的に距離を感じるために、自分と相手との「間」に『一本の線』を引いてみることにします。
自分で引いた(想像力で地面に引くのですよ)『一本の線』ですから、そこには引いた人のエネルギーのようなものや感覚神経のようなものが含まれます。
眼は、相手の身体の姿を見るよりも、地面に引いた『一本の線』を見るのですが、だからといって、下の地面を見るために顔を下に向けたりしてはいけません。
うっすらと、なんとなく、ぼんやり、自分が引いた『一本の線』を眺める程度にしておきましょう。
なーんとなく、その『一本の線』で自分と相手との距離を感覚するようにします。
そして、その距離を感じ取りながら歩くことを「間合い歩き」と呼んでいます。
相手の人の顔を見ると、距離感が狂いますからね(二度も書いてます)。
道を歩く見知らぬ人(その人の後ろ姿に対してでも前から歩いてくる人との距離でも)との間合いを感じ取りながら「歩きゲーム」をしてみましょう。
よく、探偵が、誰か人の後姿を追跡しながら歩くという時、相手の身体を直視してはいけないといいます(後ろ姿であっても)。
後ろから「つけられている」というのが、分かって(バレて)しまうからです。
そういうわけで、相手をつける時には、相手の足元あたりを見ながら追跡しなさい、なんていう教えがありますが、それも「間合い歩き」になりますね。
このトレーニングをやっていると、必ず「霊感的な感性」が身に付いてゆくようになります。
noteにも書いてます
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