実家からの帰途,寄り道をして奈良に立ち寄りました. 遠い親戚と今後の相談などするためです.

いつも奈良に来るたびに思うのですが,奈良盆地内の鉄道路線は JRと近鉄とでみごとに棲み分けています.
 

 

 

近鉄()は奈良盆地内のど真ん中を通って,主な拠点間を直線的に結んでいます.
これに対してJR()は,盆地の中心を通るのを まるで嫌がっているかのように周縁部をループ状に走っています.
結果として奈良駅からの移動は 圧倒的に近鉄の方が便利なので,よほどのことがないと私はJRには乗りません.

なぜこうなったのかが 長年の謎でした.

最初に近鉄が盆地の真ん中に鉄道を敷設してしまったので,後からJRがそれを避けたというのならわかります. しかし順序は逆なのです. まず明治~大正時代に JR(旧 国鉄)が盆地を囲むように鉄道を敷き,後に 大正~昭和に近鉄が鉄道を盆地の真ん中に通したのです.

その理由が やっとわかりました.

 

この図は 奈良盆地の西大寺駅(始点)から八木駅(終点)まで 近鉄路線図に沿って まっすぐの南北断面図です.

(C) 国土地理院 電子国土Web

 

この断面図からわかるように 北の西大寺駅から南に下って,盆地のほぼ中心=大和郡山 まで標高差は30mあります. ここを底として さらに南の八木駅までは今度は 20mの坂を登ることになります.平らなように見えても奈良盆地はこれだけの標高差がある盃のような形なのです.

明治時代に この奈良盆地に鉄道敷設を開始した時は 蒸気機関車の時代でした.

 

(C) 文化遺産オンライン

 

当時の非力な機関車では 平らなところは走れても,登り勾配で客車や貨車を引っ張り上げるのは無理でした.そこでなるべく水平に線路が敷けるところ,つまり等高線に沿ってレールを敷いたらこうなったようです.

 

たしかに  奈良盆地の 地形標高図とJRの線路とは,ほぼ標高40~50mのところでピタリ重なります.

(C) 国土地理院 電子国土Web

 

しかし,大正時代以降になると 強力な牽引力の電気機関車が登場し,登り下りはものともしなくなりました. そこで 後から鉄道参入した近鉄(=当時は 大阪電気軌道株式会社)が,もっとも効率的に盆地の中央を直線的かつ縦横に結ぶ線路を敷けたのです.