宮崎の古墳群は,これほど畿内から離れているにもかかわらず,四世紀~五世紀という 比較的古い時代から古墳が作られています.
今回の古墳巡りで一番注目していたのは,西都原の81号墳でした.
81号墳は,有名な男狭穂塚・女狭穂塚古墳や『鬼の窟』古墳のそばにあり,西都原台地の周縁部の急斜面ギリギリの位置にあります.
横から見ると普通の前期型 前方後円墳ですが,この古墳は2005年宮崎大学によって詳細に調査されています.
西都原81号墳 墳丘測量図 (C) 宮崎大学
全長53mなのに,後円部直径は 約38mです.つまり全長の割に 前方部が短いという古墳時代初期の比率に近いのです.
そして驚くべきことに,この比率は奈良県 纏向にある石塚古墳と同じです.
纏向石塚古墳
纏向石塚古墳は全長96mなので,規模こそ違いますが,その形状を比べてみると;
両者の形状はぴったりと重なります.
最古(~三世紀)の前方後円墳と言われる纏向石塚古墳と全く相似形の古墳が西都原に存在するのです.
ただ出土した土器から判定すると,西都原81号墳は 纏向石塚古墳より約一世紀ほど後のものとされています.
それにしても,この両者の相似形は偶然とは考えられないので,西都原81号墳を築造した人は 纏向石塚古墳の存在を知っていたことになります.
古代日向国(=現 宮崎県)は,古くから畿内と密接な関係があったことがうかがわれます.
[続く]