おはようございます、わたしです。
梅雨真っ盛り…なのかな
今年は思った以上に度々良い頻度で雨が降ってる気がします。
適度に降るおかげか、昼間はかなり気温が上がりますが、
夜にはまた涼しくなる。
こんくらいでいいのよ日本の夏は…
真夏に夜浴衣レベルにしても暑過ぎますってばね
さぁさぁそんな感じで、
今回も式内社を紹介しようと思いますよー
では宜しくお願いします
郷社 灰宝神社
鎮座地:愛知県豊田市越戸町松葉
御祭神:波邇夜須比売命
旧社格:国幣小社(延喜式)郷社(明治)
御朱印:あり
はい、ということで今回は豊田市にある灰宝神社でございますー
三河国賀茂郡鎮座として『延喜式』神名帳に載る式内社で、
現代では灰宝(はいほう)と読むようです。
現在までだと伊勢の神宮に式年遷宮の度奉納される神"宝"や、
過去に大陸からの贈呈品が社"宝"があったりしますが、
意外にも式内社で"宝"の字を社名に持つ神社は少なく、
私が把握している限りだと奈良県の波宝神社くらいでしょうか。
宝登山神社や三宝荒神社など仏教色が強かった神社が割と多いイメージです。
まぁお寺は宝塔や宝珠など仏教用語に関連する物が多いのが要因でしょうか。
「自力更生」…なかなか重みのある言葉です。
困難に直面したとき、迷走したときこそ神仏に頼りたくなる気持ちが湧いてきてしまいがちですが、
全てを委ねてしまうと成長できない、というのは真理ですね…
手水舎は水が流れており、柄杓も用意されていました。
よく見ると作業服の方が何人かおられますね…?
外拝殿前です。
子供達が登らないように灯籠には柵が設けられています。
また、この辺りも名古屋市側を中心とした尾張国によく見られる建築様式
「尾張造」に近い形式をとっています。
具体的には拝殿、外拝殿が入母屋造ではなく、
切妻造の妻入り側を正面にし、その後ろに祭文殿、本殿と続く形が基本となっています。
そしてこちらで珍しいのは、祭文殿の位置にあたるところにもう一つ外拝殿のような吹き抜けの建物があるのですが、
こちらだけ表面が木材ではなく漆喰のような白い石膏のような作りになっています。
大体日本の城や白壁に使われている材料は漆喰か消石灰らしいのですが、
正直どっちがどっちかまでは…分からないです
詳しい人に行ってもらって報告して欲しいですね。
こちらの祭儀庫のような神輿庫のような建物こそ、
重厚な扉も相まってお城のように見えますね。
拝殿です
こちらの獅子狛犬さんは陶器製のもののように見えますね。
少なくとも石でも木造でもありませんでした。
あとは銅製の可能性もあるのでしょうが、熱くなかったので違うと思うんですよね…
由緒書きはこちらにありました。
もう殆ど書いてる内容の要約になりますが、
創建は慶雲三年(706)年で、大宝のあと、和銅の前の元号となります。かなり古いですね。
御祭神は土の神様として崇敬されている波邇夜須比売命さまで、
ここでは陶芸の神様とされているみたいですね。
というのも、この地にはかつて陶芸家・陶工たちが海を越えてやってきて、
この地にあった良質な粘土を目当てに移住して来て、その際に守護神として当社を創刊したそうです。
粘土土陶芸となって陶芸の神様まで昇華した例はなかなかないですね。
ちなみに他の陶芸関係の神社はどうかというと、
佐賀の陶山神社、京都の若宮八幡宮社は応神天皇、
大阪の坐摩神社境内の陶器神社は大陶祇神と全く違ってます。
陶器神社は周辺の陶器問屋の守護神として祀られているようですね。
当社だと直接関連があるものはないですが、
北西には瀬戸焼を代表する瀬戸市があります
まぁあくまでもこの辺りは江戸時代の陶磁器区分なので、
もっと古い時代を参照したほうがいいのかもしれません。
また大阪の陶荒木田神社は陶磁器より古い須恵器の発祥の地とされています。
こっちの方が古墳時代だし近いか?
こちらは越戸神社です。
由緒によればこの越戸町の戦没者を祀る神社ということで、
現在の護国神社、招魂社と同類のものですね。
そしてこちらは本殿右手にある末社です。
手前の由緒書の立て札は4つ、しかし社殿の扉は3つ…あれ?
一応一番左に玉垣の隙間からお塚のような石が見えているので、
そちらが産守ノ神社でしょうか。
由緒書きだとお立ち台らしいですね。
入り口近くには秋葉神社がありました。
赤い鳥居ですから一瞬お稲荷さんかとも思いましたが、
この赤が炎とならないよう祈るばかりです
まぁ火伏せの神様ですから信頼はかなり高いですね。
そして社務所なのですが、なんと開いてます。
ネットの情報では1日と15日は御朱印を受けられるとあり、
つまりこの日は開所しているのはわかっていました。
しかし参拝したのは16日で、祭典を終えられた総代さんのお一人がお声がけくださいまして、
詳しく伺えばどうやら月次祭は1日と16日に行われており、
当社は近所のくさなぎ神社の神主さんが兼務されているとのことでした。
ただ問題は、近所に「くさなぎ」神社ってないんですよね…
どこの神社なのやら…
とはいえ、人はいるし神主さんいるしからは御朱印いただけるのでは
と思っていたのですが、祭典が終わると宮司さんは爆速で車に乗って行ってしまわれました。
兼務ですからお忙しいのでしょうね…
あ、ご心配なく。御朱印は無事総代さんが書いてくださいました
そして境内端の秋葉神社さんの目の前に立つ金次郎さん…
しかも結構でかい…昔はよくその勤勉さから学校でよく建てられてましたが、
なんかどうも最近は「ながら歩き」が危険とのことで、
悪い見本として撤去されてる噂を聞きました。
時代とはままならんものですね…
そうそう、金次郎さんにちなんで勉強熱心だなぁと思ったらエピソードが一つ。
月次祭が終わったあと、総代さんたちが祭儀具類の片付けをしていたのですが、
数人残って空の三方を持って並んでるんですよ
ずっとそばで案内してくれてた聞いてみたら、
新しく総代になった方が2人いて、その人に伝供(神饌の乗った三方などを手を伝って本殿まで運ぶこと)の練習をしてると。
なんて真面目な総代さんなんや
もうひたすらに感動しましたね
祭りの準備も形だけできてたらあとは流れでーっていうことが可能な中、
ちゃんと神饌の運び方や受け取り方を後輩に教えている、
最高の氏子さんに守られている神社です
また、境内にはこの「前田栄次郎」という方の顕彰碑や銅像がちらほらとあります。
調べてみると豊田市出身の実業家であり「談合王」の異名を持つ方みたいです。
社会人に出て鉄道建設を始めて財をなし、
満州・朝鮮で事業展開したそうです。
明治の産業革命にはいろんな人たちの躍進があって成り立ったんですね
あ と が き
さぁということでいかがだったでしょうか。
三河国を回っているとき岡崎や蒲郡などの沿岸部は行けてたんですが、
豊田市なんかの北側の地域を今回巡ることができ、
その中で特に祭りと御朱印をいただけるタイミング、
そして総代さんたちの熱心な宮守りの姿勢を垣間見ることができて大変感動しました
皆さんの氏神さんはどうでしょうか
というか、皆さんが氏神さんとどう接しているでしょうか。
まず氏神さんがどなたかから認知するのもいいかもしれませんね。意外に遠くの神社に属しているかもしれません。
そういえば今日は神社検定試験日でしたね。
投稿時間くらいには全ての日程が終わっていると思いますが、
ベストは…尽くせたでしょうか
個人的には受けるその意志だけで大変拍手喝采で褒め称えたいところですが、
是非1級目指して頑張って欲しいと思います
それではこの辺で。
また来週〜