こんちは。わたしです。
あ、すみません下品でしたね。
…地元の方言で表現しようとしたんですが、
わたしとかあんま方言が強く出なかった(主に語尾が変)んで、
もっぱら関西弁喋るやつとして認識されてましたね
でもですね、京都に来たら微妙に違うせいで、
下手したら関東より通じないときがあります。
さて、今回は前回の記事の続きみたいな感じです。
前回写真載せてちょっと感想述べておわるつもりが興が乗って書きたいことが増えまして、
分割した次第です。
高御産巣日神さまを父に持ち、天照大御神さまの岩戸隠れの段で、
天児屋命さまとともに引っ張り出すのに尽力した天太玉命さまを祖神とする神別氏族が忌部氏です。
古代でも天児屋命さまの後裔である中臣氏とともに祭祀を司っていましたが、
後世につれて中臣氏は他の有力氏族を排斥していき、
大宝律令制定後の神祇官ができ、わたしがP.Nで使っている神祇伯には、
白川家の祖である延信王が就くまでは中臣氏の子孫である大中臣氏、藤原氏が就いていました。
朝廷から退いた忌部氏はどんどん衰退していってしまいますが、
どうやら滅亡することはなく、現在も忌部、斎部の苗字は続いているんだとか。
神主やってるかどうかはわかりませんけどね。
で、ここまでは前回の記事で述べたのですが、ここからがある意味本題となります。
律令制以前のヤマト朝廷の時代に「部民制」というものがあり、
朝廷に従属した各地の一族への奉仕の体制、朝廷への仕事の職掌分けをしたのです。
その際、朝廷の内部に所属する豪族の忌部氏とその私有下にある民族たちを部曲(かきべ)、
祭祀を担当する本来の役目からその祭具などを調達する職業集団を品部(しなべ)といいました。
……とここまで来て思いました。
これ書いたことあるな?
確認したら、大麻神社の記事で軽く触れてました。
うーん…
過去に書いたことをまた書く。なんたるドS。
そんでですね。祭祀を司る中央の忌部氏と、品部としての忌部氏が各地にいるわけです。
・出雲忌部…櫛明玉命(玉)
・紀伊忌部…彦狭知命(宮殿の木材)
・阿波忌部…天日鷲命(麻・木綿)
・讃岐忌部…手置帆負命(盾・竹)
・伊勢忌部…天目一箇命(鍛治=鉄器具)
この各忌部氏が祖神とする神々は、『古語拾遺』にて天太玉命さまにしたがった「忌部五部神」と言われています。
さて、いかがだったでしょうか。
…いけませんね。興が乗って書きすぎました。
クッソ長文になってますし、自己満足で書き連ねてしまいましたので、
めんどくさくなったらそこでやめてくださいな。
ああ…明日から仕事やん…みんな…頑張ろ…
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