忌部氏についてまとめてみた!!【自己満です】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

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ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

こんちは。わたしです。

クッソ暑!!!!!

あ、すみません下品でしたね。


…地元の方言で表現しようとしたんですが、


該当する方言なかったですわ滝汗滝汗


わたしとかあんま方言が強く出なかった(主に語尾が変)んで、


もっぱら関西弁喋るやつとして認識されてましたねグラサン



でもですね、京都に来たら微妙に違うせいで、


下手したら関東より通じないときがあります。


日本語ってほんと難しいですねガーンガーンガーン
 



さて、今回は前回の記事の続きみたいな感じです。


前回写真載せてちょっと感想述べておわるつもりが興が乗って書きたいことが増えまして、


分割した次第です。



古代氏族 忌部氏

前回紹介した天太玉命さまの子孫である忌部氏についてまとめましたグッグッ


《天太玉命神社》

高御産巣日神さまを父に持ち、天照大御神さまの岩戸隠れの段で、


天児屋命さまとともに引っ張り出すのに尽力した天太玉命さまを祖神とする神別氏族が忌部氏です。

古代でも天児屋命さまの後裔である中臣氏とともに祭祀を司っていましたが、



後世につれて中臣氏は他の有力氏族を排斥していき、

大宝律令制定後の神祇官ができ、わたしがP.Nで使っている神祇伯には、


白川家の祖である延信王が就くまでは中臣氏の子孫である大中臣氏藤原氏が就いていました。

《天太玉命神社拝殿》

朝廷から退いた忌部氏はどんどん衰退していってしまいますが、


どうやら滅亡することはなく、現在も忌部、斎部の苗字は続いているんだとか。

神主やってるかどうかはわかりませんけどね。


で、ここまでは前回の記事で述べたのですが、ここからがある意味本題となります。

古代部民 忌部氏

律令制以前のヤマト朝廷の時代に「部民制」というものがあり、

朝廷に従属した各地の一族への奉仕の体制、朝廷への仕事の職掌分けをしたのです。

その際、朝廷の内部に所属する豪族の忌部氏とその私有下にある民族たちを部曲(かきべ)


祭祀を担当する本来の役目からその祭具などを調達する職業集団を品部(しなべ)といいました。




……とここまで来て思いました。


これ書いたことあるな?

確認したら、大麻神社の記事で軽く触れてました。


うーん…


まぁいっか!!!!

どうせ忘れてるでしょ!!グッグッグッ


過去に書いたことをまた書く。なんたるドS


そんでですね。祭祀を司る中央の忌部氏と、品部としての忌部氏が各地にいるわけです。

その中で代表的な忌部氏がこちらですキラキラキラキラ


出雲忌部…櫛明玉命(玉)
紀伊忌部…彦狭知命(宮殿の木材)
阿波忌部…天日鷲命(麻・木綿)
讃岐忌部…手置帆負命(盾・竹)
伊勢忌部…天目一箇命(鍛治=鉄器具)

この各忌部氏が祖神とする神々は、『古語拾遺』にて天太玉命さまにしたがった「忌部五部神」と言われています。



出雲忌部氏櫛明玉命さまを祖神とし、玉を作ることを職掌としていました。
松江市には本拠地の氏神神社として忌部神社が鎮座しています(参拝してないので写真なし)。
また、出雲忌部の子孫として「玉造氏」がいます。まさしく職掌を名前にしてますね。
そして櫛明玉命を祀る神社として意宇郡の式内社玉作湯神社があります。
この神社の鎮座地が出雲忌部氏の神戸だったとされており、
出雲忌部氏の下で職掌を担った玉作部によって奉斎された神社であるとされています。


紀伊忌部氏彦狭知命さまを祖神とし、宮殿などの用材を作ることを職掌として与えられていました。
クリスマスツリークリスマスツリークリスマスツリー紀伊国=木の国クリスマスツリークリスマスツリークリスマスツリーとされているのにぴったりの仕事ではないでしょうか。

《鳴神社》


紀伊忌部氏の拠点の氏神神社として名草郡の名神大社である鳴神社です雷雷
社伝によると御祭神の天太玉命さまはここでは建築家内安全の神とされています。
また、この天太玉命さまは江戸期に再興されたとき天太玉命神社さんから分祀されたとのこと。
これは偶然なんかではないでしょうね。


阿波忌部氏


《忌部神社》


《山崎忌部神社》


《五所神社(忌部神社奥宮》

天日鷲命さまを祖神として、麻、木綿の生産を職掌としていました。
『延喜式』神名帳にも麻殖郡の名神大社として忌部神社が記載されています。
もう郡名がの栽培を表してますよね。
《大麻比古神社》


また、天太玉命さまの御孫の天富命さまが阿波忌部氏を率いて阿波国を開拓し、
天太玉命さまを阿波国の守護神大麻比古神さまとして祀ったのが、
阿波国一宮、大麻比古神社です。
阿波忌部氏に関しては、麻の栽培に良い土地を求めていろんなところへ遠征した軌跡が多数伝わっているほどにアクティブですあしあとあしあと
《安房神社》


その例とされるのが安房国一宮、安房神社です。

房総半島はもともと麻がたくさん育つことから「総国」とされており、
そこに阿波忌部氏が移り住み、「太玉命社」として創建したのが安房神社とされています。
…どうやってここまで行ったんでしょうか。陸路?海路?

讃岐忌部氏手置帆負命さまを祖神とし、矛の柄とする竹竿と盾を作成することを職掌としていました。
特に、竹竿は毎年800本ほど奉納しており、竿調国(さおみつぎのくに)と呼ばれたのが転化して讃岐国になったとされています。
《粟井神社》

讃岐忌部氏はまず讃岐国の西側から開拓を始め、
阿波国から天太玉命さまを勧請し粟井神社を創建しました。
苅田郡の名神大社として載っています。
また、忌部神社も三豊市にあり、おそらく本拠地としていたと思われます。
三豊市も香川でいうと西側の地域に入ります。


《多和神社》

また、寒川郡の式内社、多和神社の奥宮(っぽい多和神社)の御祭神は手置帆負命さまともされており、

こちらは東側の地域にある神社です。


東側まで開拓し、その上で氏神神社を祀ったのかもしれませんね。


《大麻神社》

そして、阿波忌部氏が麻に良い土地を求めて入植し流れ星流れ星
讃岐忌部氏と協力して麻の栽培を協力して行ったときに創建されたのが、
多度郡の式内社である大麻神社です。
神体山とされる大麻山がその栽培地だったとされています。
つまり四国の半分は忌部氏によって開かれたと言っても過言ではありませんね。

伊勢忌部氏天目一箇命さまを祖神とし、刀、銅鐸、鏡などを奉納したとされています。
《多度大社別宮・天目一神社》

天目一箇命さまは片目の神さま意味が名に込められており、
これは金属を打つ際に片目を閉じる所作から由来しているとされており、
鍛治の神様とされているそうですウインクウインク
また、三重県に残る員弁郡(いなべぐん)なんかは忌部の転訛とする説もあります。




さて、いかがだったでしょうか。


…いけませんね。興が乗って書きすぎました。

目がボヤける…ゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリ



クッソ長文になってますし、自己満足で書き連ねてしまいましたので、


めんどくさくなったらそこでやめてくださいな。


私はもう満足です…チーンチーンチーン


ああ…明日から仕事やん…みんな…頑張ろ…



おやすみ…zzzzzzzzzzzzzzz

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