2分の1卒業式、学校の「あたりまえ」は社会の非常識 | 白河清周の脱線する話

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元小学校教員が挙げる、2分の1成人式を即刻やめるべき5つの理由

「2分の1卒業式」なるものは知らなかったが、「親を喜ばすため」の行為はあった。

 

修学旅行先から、親に手紙を書かされたのはそれ。

 

わたしのいた中学校は校区内に児童養護施設があって、同級生の中には入所者もいた。皆が親に手紙を書くのをどういう思いで見ていたのだろうと思う。

 

日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由

まともな市民社会の常識で考えれば、他人をいためつけ、おどして、その恐怖を背景に金をまきあげれば犯罪である。「おごってもらっただけだ」という言い訳は通用しない。

たとえば、暴力団が何年ものあいだいためつけ続けた被害者に対して、恐怖を背景に大金を「おごり」名目で巻き上げた場合と同じことが、いじめの加害者たちについてもいえる。

学校をなんら特別扱いしないで見てみよう。すると、地方公共団体が税金で学習サービスを提供する営業所(学校)内部で、このような犯罪が何年も放置されたということが、問題になるはずである。

しかも公務員(教員)がそれを放置していたことも重大問題である。公務員は、犯罪が生じていると思われる場合は、警察に通報する義務がある。知っていて放置した公務員(教員)は懲戒処分を受けなければならない。

このような市民社会のあたりまえを、学校のあたりまえに洗脳された人は思いつきもしない。ここで生じていることは無法状態であり、犯罪がやりたい放題になることである。これは社会正義の問題である。

 

わたしが繰り返し挙げている「管理教育」にしても、同じ事を、企業が従業員に対して行えば人権侵害として激しく糾弾されるはずであり、無法状態というほかない。

 

しかし、「学校のあたりまえに洗脳され」ると、たとえ社民党や共産党を支持しているような教師であっても、平気で生徒に「生徒らしさ」を求めるようになり、髪の長さやスカート丈をびしびし取り締まるようになる。

 

髪の長さとかスカートの長さとか、そういう指導は生徒同士の相互監視につながり、いじめの元になる。

 

(追記)2分の1成人式を推進していたのは、あの悪名高いTOSSとのこと。学校で『水からの伝言』やEMを教えたり、「親学」を推進しているところ。