ラッセンについて3 ラッセンはマリンアートのゾンビかフランケンシュタインか。 | 美術作家 白濱雅也の関心事 

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A matter of Shirahama Masaya's concern

なんともタイムリーに「ラッセンとはなんだったのか」が発売されて俄にラッセンが注目されてますね。私はこのタイミングを狙ったわけではなくて、偶然、学生が話題にしていることがきっかけだったんだけど。でもヒロヤマガタさんにこれまた不思議な縁でお会いしたり、自分でも気になっていたりというのが重なりました。
まあ、なんでも調べてみるもんですね。マリンアートなんて美術史詳しい人でも知っているようで知らないでしょう?私もいろいろ発見がありました。まあこれ全部掘り下げるとこれだけで大変なことになりますから概観程度で、あまり細かくは突っ込まないで下さいね。
(マリンアートの系譜がハドソンリバー派を経てキンケードやラッセンにつながっているというあたりは私の推論です。通俗的/伝統的マリンアートは日本の富士山の絵のように欧米を中心に連綿と続いているはずです)

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マリンアートのルーツはかなり古くて17世紀オランダの頃。この頃のオランダは東インド会社を設立して世界各地に植民地を増やし繁栄を極めた。日本との交易もこの頃で、オランダ領となった国には東インド(インドネシア)、スリランカや台湾などがあった。後にインドネシアは日本軍によってオランダ占領から解放されている。実はマリンアートのルーツと日本とは意外と深いつながりがあった!というのは面白い事実である。オランダも日本も陸地面積の小さい海洋国家で親近感があるのではないだろうか?そしてこのマリンアートのルーツがオランダということが非常に重要で、これは後ほど。この繁栄を背景に当時の国威を象徴する船や海が描かれた。新しい富裕層が生まれ購買層が生まれたというのも重要だっただろう。

ここからマリンアートの流れを追ってみたい。

Hendrik Cornelisz Vroom (1562 – 1640)
この人が黄金期の代表らしい。この時点でマリンアートというのがかなり完成している。大海に乗り出していく人間の叡智と勇敢さ(と国の偉大さ)が現われている。当時の船はスカイツリーやロケットのように最先端技術のシンボルだったのだろう。

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Théodore Géricault (1791-1824)
ロマン派の代表ジェリコー。マリンアートとはいえないが海と人を巡る重要作。ここでの海は人を地獄へと貶める恐怖の空間となっている。

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J. M. W." Turner(1775 – 1851)
海を情景として描いたことと現実を越えた超空間として描いている点で凄い。この人の照明効果はハドソンリバー派をへてラッセンにも引き継がれている。

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Caspar David Friedrich (1774 – 1840)
風景に人生の儚さを投影させたという点で日本的感性に通じる。

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Fitz Henry Lane (1804–1865)
この人もマリンアートでは代表らしい。マリンアートと言う言葉ではこの人のような絵を思い浮かべる。そう言う意味ではアメリカでのルーツか、いわゆる帆船画。後のヒードに通じる。

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Jean Désiré Gustave Courbet (1819 – 1877)
海と言うとクールベを思い出すがオランダマリンアートからすると随分あと。海への畏敬や畏れがあとから出てくるのは自然を対象化する視線が芽生えたから?なのだろうか。

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Айвазовский (1817 - 1900) Ivan Aivazovsky
印象派の登場と前後して伝統的マリンアートは辺境へ拡散していくように見える。こちらはロシアの画家でマリンアートの代表の1人らしい。アメリカのハドソンリバー派と通じる光や色使いがある。

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Frederic Edwin Church (1826 – 1900)
マリンアートはロマン派的志向と同様、アメリカやロシアに伝播し受け継がれたのではないだろうか?チャーチやビアスタットはターナーの後継に見える。自然の崇高さを宗教画のように描いたハドソンリバー派はエコロジー的思想と共通しラッセンのルーツを感じさせる。

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Martin Johnson Heade (1819 – 1904)
ヒードは比較的穏やかな海を描いていてラッセンの海辺に通じるものがあるが、ヒードにはもう一つ博物画的側面があってこちらも非常にラッセン的に思う。

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Albert Bierstadt (1830 – 1902)
ビアスタットは海を描いたものは多くないが大仰な光の扱い方などラッセン的である。

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Winslow Homer (1836 – 1910)
ホーマーはアメリカの海景として名が知られている。ホーマーの描く海は人間の営みに恵みと脅威をもたらす試練や葛藤として描かれている。

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Claude Monet (1840 - 1926)
ヨーロッパでは印象派が登場し、科学的な視線や屋外での制作による、それまでと異なる鮮やかな画面が現れる。

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Albert Pinkham Ryder (1847 – 1917)
アメリカの画家。黄泉の国のような象徴的な海を描く。ポロックが尊敬していたという。いい画家。なんとなくオランダ発の伝統的マリンアートの終焉を見るような気がする。

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Leon Dabo (1864 – 1960)
この人もアメリカの画家。まったく知らなかったのだが、カラーフィールドやミニマリズム、フォトリアリズムを予感させる、なかなかいい画家。隠れた逸材はいるもんだ。アメリカにはルミニストという一派がいたのですがその流れか。

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Edward Hopper(1882 - 1967)
印象派とはまた異なる画面の明るさにまず驚く。決定的になにかが変わっている。視線は沖合にではなく沿岸に移り、ここでの海は脅威ではなくレジャーの場となっている。この背景にはアメリカでの市民層や都市生活の台頭があるのではないか。

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Thomas Kinkade (1958 – 2012)
ホッパーから少し飛びますがキンケードはホッパーの通俗版というように見えます。

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そしてラッセン。
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ちなみにあるサイトで偉大な海景画家10人が選ばれている。
ディーンベーコンは意外だったけどそれ以外は網羅できた。ほっ。
http://www.theartwolf.com/10_seascapes.htm

さてこうしてみてきてどうだろう。並べてみると見えることが多いのではないだろうか。
ラッセンの絵の中にマリンアートの伝統がコンプリートされているというのはわかる。意外と正統派である。ただしマリンアート自体が生まれて数百年。手あかつきまくりの世界ではある。
いくつか気付くことがあるのだが、まずはその絵のムードというか絵肌というかそれを見て欲しい。

非常に色彩が明るい。ネオンサイン的でもある。前に飛び出し来るようなどぎつい色である。ラッセンはエアブラシを多用してるらしいが長岡秀星などのエアブラシイラストに通じる色である。
それでいて非常に薄っぺらくて軽い。ぺらっぺらでシートでめくれそうなほど。
イラスト的と言われるゆえんである。
ラッセンはPCでみる画像に近い。この視覚感覚は時代を先取りしていて新しいと言える。

ラッセンの絵には骨がないように見える。表皮だけ。
ジェリコーの絵にある骨太の感覚はない。印象派の絵にある冷徹な眼差しもない。
ハドソンリバー派達の崇高さを支える柱もない。
骨はどこに行ったのか。
その答えはマリンアート発祥の地、オランダにあった。
オランダの画家モンドリアンもまた海の絵を描いている。

Piet Mondrian(1872- 1944)

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以前からモンドリアンの絵は絵画のレントゲン写真、骨格標本だと思っていた。
この絵は1915年制作。骨格が表面に現われたのはここからだろう。

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抜け落ちた肉はどこへ行ったのか。
一つは写真だろうと思う。
Ansel Adams(1902-1984)
(アンセルアダムスとモンドリアンは時代が重なる)

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そして抜け殻の一つがピンカムライダーの絵。ピンカムライダーは1917年に亡くなっている。

そして当時の写真が持ち得なかった、色彩という残った皮をつないで再生したマリンアートがラッセンなのではないのか?
ラッセンの絵とはマリンアートの死体をつなぎあわせて再生したゾンビか、フランケンシュタインではないのか?

1915年は第一次世界大戦の頃である。
近代の矛盾がショートした瞬間である。理念と現実が乖離し始めた。
この乖離がモンドリアンを生んだ。
近代もまたここで瀕死の重傷を負った。切り捨てられた肉や皮は死にきれずに、生き残り再生した。
(どうやって生き残ったのか?はまた遠大なテーマですがイラストやデザインと関係しているような気がする)

とすると、これもまた近代絵画終焉後のひとつの姿である。ポストモダニスム的絵画でもある。
しかし、芸術とは見なされなかった。なぜだろうか。
これはラッセンの絵で消えてしまったもののひとつ、闇と関係するのではと思う。そのことは次にまた。


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ふう、こりゃ大変ですね。
つまんないですかね?私自身はかなり面白かったのですが。
でもこの通史は関門だったのでこの後はすこし手早く続けられると思います。
気長におつきあい下さい。