立ち上げたばかりの本シーズです。前回文末で「乞うご期待!」などと申し上げたものの、しばらく更新ができず、申し訳ありませんでした

 改めて仕切り直し、前回に引き続き、今回も清水善造選手の母校箕輪小学校に設けられた記念コーナーを紹介させて頂きます。

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私たち日本人の偉大な先人たち①:清水善造選手(2/5)

 時は9月6日(土)「。自宅から程近い箕輪小学校(高崎市箕郷町)に出掛けました。

 そして、運よく、休日なのに出勤されておられた同校の先生のおかげで校内に入ることができました。そして、まず案内されたのが校長室の外壁に設けられた特別コーナー。そこには、清水善造選手の優れた業績や選手時代の御写真が「柔らかいボール」の美談とともに紹介されていました(参照:私たち日本人の偉大な先人たち①:清水善造選手(1/5))。

 次に案内して頂いたのが、校舎2階の学習室でした。そこで最初に目にしたのは、実に感動的な切り文字パネル。最奥の壁に大きく「真のスポーツマン 清水善造選手」と書かれていました

 
 切り文字パネル 一目で感動 その下にデビス杯でのチルデン選手との一戦を撮影した写真が大きく掲示されています。
 
 
 展示された写真 タイトルは「世界的テニスプレーヤー 清水善造選手(写真手前)」とあり、その下に「デビスカップのチャレンジラウンドの決勝戦で、チルデン選手と歴史的な激戦を展開し、惜しくも敗れる。 1921(大正10)年 ニューヨーク郊外フォレストヒルズ」と解説が付けられています。

 
 展示写真(拡大) 手前が清水選手、奥がチルデン選手です。清水選手のフォアハンドは、左足を前に出して打つという変則的なものだったそうです。それでも、清水選手は、手足の長さでは欧米の選手たちに劣るものの、鋭い回転が効いたショットで世界の強豪を苦しめました。


 この時点ですでに大満足してしまった私ですが、他にも清水選手ゆかりの品々が壁面やガラスケースのなかにたくさん展示されていました。


 清水選手記念コーナー これが清水選手の母校に設けられた記念コーナーの全容です。


 早速、一つ一つ丁寧に目を通させて頂きました。
 
 
 全南米庭球大会優勝杯(1) 清水選手が母校に寄贈した優勝カップです。もちろん本物です

 
 全南米庭球大会優勝杯(2) 「清水善造選手の優勝に対して贈られたもの 大正3年(1914) ヴェノスアイレス市」と紹介されています。


 
 新聞記事(1) 清水選手の母校の児童が脚本・配役を務めた「テニスの清水善造物語」という映画が昭和48年に製作され、同年県自作視聴覚教材(VTR部門)として努力賞を受賞したことなどが記されています。新聞記事の見出しは「『母校の誇り』を映画化 テニスの名選手・清水さん 箕輪小 脚本も配役も児童」。素晴らしい


 
 新聞記事(2) 清水選手の訃報を告げています。日付は昭和52(1977)年4月14日となっています。「気さくな紳士 心、受け継ごう」と題した追悼文が寄せられています。また、優勝カップが母校に寄贈されたことにもふれています。

 
 
 新聞記事(3) 
上の新聞記事を一部拡大。見出しには「日本庭球界の草分け 清水善造氏が死去」と記されています。
 


 
 高崎高校同窓会パンフレット 旧制高崎中学校時代の校歌、校友歌、野球部応援歌、庭球部応援歌とともに、「清水善造選手のプロフィル」と題して同校の卒業生である清水選手の偉業を称えています。


 
 書籍の記述(1) スポーツ全集19『スポーツマン』に「ほまれのテニス試合」と題して、ウィンブルドン大会でのチルデン選手との試合の様子を伝え、清水選手が「真のスポーツマン」として称えられていることを紹介しています。


 
 書籍の記述(2) 清水選手の美談「柔らかいボール」はこのように道徳教材として活用されてきました。


 


 写真(1) 
写真の下に「世界的庭球選手 清水善造君」と題して、清水選手の活躍が紹介されています。おそらく旧校舎時代に展示されていたものでしょう。



 写真(2) 校長室の外壁に展示されていたものと同じものです。これもおそらく旧校舎時代に展示されていたものでしょう。


 
郷土の先人が母校の英雄という形で顕彰され、かつては児童が清水選手の伝記映画まで制作した箕輪小学校さん。とても素晴らしい学校です。母校の卒業生を取り上げ、心を育む道徳教育。他の小中学校も、文科省が全国に配布している「心のノート」などに頼り切らず、この箕輪小学校さんの取り組みを良き手本にして欲と思います。

 道徳教材として取り上げることができる郷土の偉人、郷土の先人、母校の英雄。みんなが忘れてしまっただけで、調べればたくさん登場するはずです。

 そう言えば、私が卒業したS川高校にも、OBの佐藤次郎選手が世界的テニスプレーヤーとして顕彰され、現在でも同校テニスコートの一角に胸像が立っています。佐藤選手についても、清水選手と同様、S川高校や関係者宅(渋川市横堀地区)などを再訪し、じっくり調べてみたいと思います(参照:母校の英雄 人間魚雷「回天」搭乗員 都所静世少佐(5) )。

 ところで、清水選手の記念コーナーに展示された品々のなかに、一つ興味深いものが見付かりました。それは「四コンの哲学」という題が与えられ、清水選手がテニスの練習に当たって実践した心得でした。

 その文面は、単純にテニスの上達を目指すものにとどまらず、人生訓に通する独特なものでした。

 詳細は次回で紹介させて頂きます。
 
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 今回は以上です。ご訪問頂き、ありがとうございいました。

 次回は、なるべく早めに更新させて頂きます 乞うご期待