今回は、入国3日目、コロール島の北に位置するバベルダオブ島ツアーの一日を紹介させて頂きます。

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12 バベルダオブ島の大遺跡編


 バベルダオブ島ツアーに諦め半分の軽い気持ちで参加した私。何と!ツアーの案内者がワゴン車の運転を兼務するらしい。Dスケと名乗る、まだ20代半ばぐらいの若者です。本当にダイジョーブなのか!?このツアーは??


 

 でも、バベルダオブ島はそんなモヤッとした私の心を、たちまち晴れやかに変えてくれました・・・


 

 ところで、バベルダオブ島は広大な島(331km²)で、関東地方で面積最小のわが榛東村の約12倍。パラオ国内はもちろん、ミクロネシア全体でもグアムに次いで2番目の大きさです。なお、パラオは小さいながらも連邦国家で、全16州のうち10州はバベルダオブ島に属しています。


 近年、首都がバベルダオブ島のマルキョク州に移転されたのに伴い、島内を周回する「コンパクト・ロード」が完成し、交通の便が飛躍的に改善されました(写真1)。その結果、バベルダオブ島観光も常設のツアーとして定着したそうです。

 
 
バベルダオブ島を周回うるコンパクトロード

 ダイスケさんの運転・案内でKBブリッジを渡り終えると、コンパクト・ロードの沿線にバベルダオブ島南端、アイライ州の小集落がジャングルの中に見えてきました。それは昨日、コロール州の郊外で目にした風景とクリソツでした。なお、アイライ州はパラオ国内で2番目に人口が多いそうですが、中心市街と呼べるような賑やかな場所はどこにも見当たりませんでした。


 

 最初に立ち寄ったのは、1890年頃に建てられたというパラオ国内最古の「ア・バイ」。なお、ア・バイとは、今なお島内各所に現存する伝統的な集会所のことで、年長者が子供たちに様々な知恵を授ける学校でもあったそうです。

 
 ジャングル内の小集落に伸びる小道


 
 
パラオの伝統建築「ア・バイ」

 鋭角な屋根が印象的で、五箇山郷・白川郷で保存されている合掌造の古民家のそれとよく似ていました。この大きな建物には釘やネジが一切使われていないそうです。入口の頭上には、大きなコウモリくんが描かれていました。パラオではコウモリが敬われているようです。つまり、集会に集まったパラワンたちに入口のコウモリくんに頭を下げながら室内に入ることを自動的に求めていることから、ア・バイで行われる話し合いに厳粛な意味を持たせたかったようです(以上、Dスケさん談)・・・


 
 
鋭角的な屋根

 

 
 入口の頭上のコウモリ

 
 同行者たちと記念撮影

 
 ただし、パラオには、敬愛しているはずのコウモリを食べる文化があります。本ツアーで同行させて頂きたKさんファミリーの体験談によれば、牛や豚のような哺乳類の肉ではなく、鶏肉に似たような不思議な味だそうです(笑)


 

 ア・バイから車に戻る途中、ジャングルの縁に高校地理教師の私を喜ばせるに足る、原始的な熱帯農業が展開されていました。それは、雑木林にも似た粗雑な土地でココやしとバナナの樹木を栽培しながら、パラワンが主食としてきたヤムいもを間作する畑でした。

 
 
パラオの農業景観

 
 バナナとココヤシからなる樹木畑


 
 発芽したヤシの実


 
 間作のヤムいも


 
 ところで、高校地理の教科書では、世界的にみた日本農業は「園芸農業」と言っても差支えないほど、極めて集約的な営農に大きな特徴があると記しています。このパラオの畑を見て、その意味がやっと実感として理解できました。パラオの農業は極めて粗放的でしたから。


 でも、それがパラワンスタイルなのでしょう。煩雑な稲作農耕を2千年以上も毎年繰り返してきた私たち日本人とは違って、日々ガツガツ、バリバリ働くことを美徳とはしません。それは日々の暮らしぶりも同じでしょう。入国以来、あちこちで似たような畑を目撃しましたが、そうしたパラオの粗雑な畑こそ、私にとっては明解な比較文明論そのものでした。

 
 畑の端に咲くお花さん 


 次に案内されたのは「海軍通信隊建物跡」でした。コンパクト・ロードから狭い路地に少し入ったジャングルの中で突然、鉄筋コンクリートの異様な建物が現れた瞬間、鳥肌が立ちました。なぜなら、2階建ての建物全体に無数の弾痕が遺されていました。


 予期せぬ大遺跡の登場に、同行者に気兼ねせず大興奮。車から降り、Dスケさんの案内で今にも崩れ落ちそうな建物の1階部分に立ち入りました。大東亜戦争終結から70年近く経過しているはずなのに、米軍の空爆で崩れ落ちたコンクリート塀の欠片やむき出しになった鉄骨など、この場所だけは戦争の痕跡を鮮やかに留めた、まるで戦争の時代で時間が止まってしまったかのような不思議な空間でした。

 

 外庭には「特二式内火艇」と呼ばれる海軍陸戦隊の水陸両用戦車や「九六式二十五耗高角機銃」など、帝国海軍の兵器が野ざらしにされていました。なお、帰国後判明したことですが、パラオでは、戦争遺跡をそのままの姿で遺す決まりがあるようです。表向きは戦争の記憶を風化させないためとしているようですが、実際には戦争遺跡の数々がパラオの貴重な観光資源となっているためだと思います。

 
 残念ながら、ここではアイライ州政府の許可を得ないまま、勝手に写真を撮影するのは禁止されていました(ただし、ネット上で公開されておられる方もいます)。もっとも、辺りに人影など全く見当たりませんでしたし、写真撮影ダイジョーブのような気も(笑)
ですが、地元警察に捕まり、パラオに来てまで生き恥を晒すのはご免です。眼の前の異様な風景をしっかりと眼に風景を焼き付け、その場を後にしました。


 ちなみに、米軍はバベルダオブ島に機動部隊を上陸させませんでした。しかし、制空権を完全に奪われていたため、コロール島と同様、米軍機の空襲を何度も受けました。


 それにしても、パラオはやはり凄い!戦争遺跡が半端ではない!!天気は相変わらずモヤッとしたままでしたが、私の心は完全に晴れ上がってしまいました(つづく)。

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 ご訪問頂き、ありがとうございました。

 次回も、予想外に面白かったバベルダオブ島の魅力を精一杯お伝えします。乞うご期待!