ロシアの恐怖と暗殺~2~ | ひげのブログ

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葉っぱ踏み踏み

ロシアの恐怖と暗殺の歴史は、

ロシア革命(二月革命)後のレーニンに始まり

最大の政敵を暗殺したスターリンに受け継がれる

ペレストロイカ後の民主化以降は、静かになったが

最後に出てきたのは、プーチンだった

 

5・スターリンが残したもの

血塗られた過去によって、約2000万人が

粛清されていた

これによって、民主主義へと移行していくとみられた

(ペレストロイカ)

 

 

6・内部告発

FSBの職員が内部告発した

情報将校リトビネンコが、

FSBによるオルガルヒ暗殺計画を暴露した

逆にリトビネンコを告発したのが

当時のFSB長官プーチンだった

 

 

7・責任回避

1986年に起こったチェルノブイリ原発事故

事故原因を調査したワレリー・レガノフ博士は

制御棒の欠陥として発表したのだが・・・

その後、FSB(この時の長官はプーチン)からの圧力で

ヒューマンエラーとして

IAEAでの報告後、自責の念から自殺してしまった

 

8・暗殺~2~

大統領に就任したプーチンは、

オルガルヒたちを逮捕していった

恐怖を感じたベレゾフスキーは、イギリスに亡命

13年後自宅で暗殺される

(ロシアや中国の殺鼠剤には、

猛毒のタリウムが使用されており

時々ロシアによる暗殺などに使用されている

タリウムは金属でありながら、水に溶けて無味無臭

成人の致死量は約1グラムとされている

吐き気や腹痛、めまいなどを引き起こし、

重篤な場合、呼吸困難などの中毒症状で死亡)

 

 

(続く)