ひげのブログ

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葉っぱ踏み踏み

移転した浄土宗道哲西方寺に

都営バス西巣鴨停留所から向かいます

 

運転手がこの停留所で交代しています

 

 都営三田線西巣鴨駅もすぐです

徒歩1分で西方寺につきました

 

立ち入り禁止の立て札で入れず

 

この写真が限界でした

 

愛猫たまの招き猫(模造)などの写真は、

Webから拾いました

 

帰りは、都電荒川線(愛称さくらトラム)新庚申塚駅から

 

 

ゆっくりと走る路面電車

 

(おまけ)

都電荒川線の運転席

江戸時代末期には、「丸〆猫」と呼ばれる

今戸焼による猫の人形が「流行神 (はやりがみ)」

江戸の人々の信仰を集めたのが招き猫の形としての

ルーツだともいわれている

 

常滑で招き猫が作られるようになったのは1930年代後半

 

豪徳寺の逸話を契機に、

「猫が手招きをして幸運を呼び込む」という信仰によって

江戸後期から明治にかけて、陶器で作られた招き猫が販売される

有名な産地としては、愛知県常滑市や愛媛県今治市

特に常滑焼の招き猫は大きなサイズのものも多く、

店先に飾られることで商売繁盛の象徴となる

九谷焼や瀬戸焼など各地の焼き物文化と融合し、

地方ごとの特色を持った招き猫が誕生

今日では浅草や谷中など観光地の土産物屋でも見かける

 

1700年代ころ吉原の花魁・薄雲太夫が

三毛猫(たま)をかわいがっていた

たまは片時もはなれず、

猫に見入られたと不気味に思った薄雲太夫のお抱え亭主が

猫の首をはねたところ、その首が厠の下に飛んでいき、

そこにひそんでいた大蛇に噛みつき退治した

 

人々は大蛇から薄雲太夫を守ろうと離れずにいたのだろうと噂し、

薄雲太夫は自分を守ろうとした猫を死なせてしまったことを後悔した

 

西方寺は弘願山西方寺といい、吉原の近くの日本堤にあり

待乳山 本龍院とともに吉原遊女の投げ込み寺として知られていた

当時は聖観音宗・遍照院のなかにあった

 

薄雲太夫は、西方寺に猫塚を祀り、絶命した猫は道哲に納められため

西方寺はその後道哲西方寺となった

 

また愛猫を失い失意の太夫に馴染み客が贈った猫の木彫像と

猫塚が立てられたという(伝説)

 

西方寺は、関東大震災で消失した後

現在の場所(西巣鴨)に移りました

 

東両国あたりの娼家で金猫銀猫を縁起棚に飾っていたのが

招き猫の起源という説や、

吉原の花魁・薄雲太夫の愛猫が招き猫となったという説

(薄雲が亡くなったのは享保6年:1722年)、

 

ここから、都営バスに乗って、西巣鴨西方寺に向かいます

 

(おまけ)

常磐線貨物列車

江古田・沼袋原の戦いで、

劣勢に立たされ道に迷った太田道灌の前に

黒猫が現れて手招きをし、自性院に案内した

これをきっかけに盛り返すことに成功した太田道灌は、

この猫の地蔵尊を奉納したことから、

猫地蔵を経由して招き猫が成立した伝説

 

自性院への道は、新宿駅から地下鉄大江戸線に向かう

 

やたらと長い

 

 

やっと改札口

 

都庁前駅で乗り換えます

落合南長崎駅で下車します

 

 

徒歩5分で西光山自性院

 

本堂

 

猫地蔵の詠歌

 

拝観はできなかったので、ガラス越しに撮影