Yahoo!ニュースで23日のTRILLの記事、

帰宅ラッシュの駅ホームで子どもが床に座り込み 親の対応にモヤモヤ…「本当に迷惑」「親の立場も辛い」

を見つけました。

帰宅ラッシュ時に「電車のホームで子どもが座り込んでいるのに、そばにいる親が注意しない」という投稿がSNSで話題になっているそうです。

「駅のホームで子どもが床に座り込んでいるにもかかわらず、近くにいる親が特に注意をしていない様子を見た」
「みんな邪魔そうに避けているのに気づかないのかな」


というSNSの投稿に対して色々な意見が寄せられたとのことです。

「親が注意すべきでは」
・ホームで座り込むのは危ないし、まず親が声をかけるべきでは?
・混雑している時間帯ならなおさら、周りの人の迷惑にもなると思う。
・何も言わない親を見るとモヤっとするかもしれない。


「親が注意しないなら周囲の大人が声をかけてもいいのでは」
・明らかに迷惑な状況なら、近くの大人が注意してもいいと思う。
・他人の子でも、危なければ一言かける勇気は必要かも。
・誰も言わないからそのままになっているのでは?
・子どもをほったらかしの親、たまに見かけるけど本当に迷惑!あまりに危険だったから厳しめに注意したことある。


親の立場としては「注意しても、しなくても批判される」
・注意すれば“うるさい”と言われ、しなければ“見て見ぬふり”と言われる。
・どちらにしても責められるなんて、親の立場も辛いわ…。
・親も何も言わなくなる空気ができているのでは。


といった様々な意見が寄せられたと言います。

どの意見も一理あると思います。結局その時の状況や理由などにもよります。親の教育方針もあるでしょうし、親や子供の性格にもよるし、周りの人の対応にもよるし、誰がどういった行動をとるかにもより結果が大きく変わってくると思います。だから「注意すれば“うるさい”と言われ、しなければ“見て見ぬふり”と言われる」という言葉が出てくるのでしょう。この記事も、

明確な正解はありません

と言っています。

「子育てに正解はない」とよく言われますが、このような場合の対応も「正解はない」です。人間関係に正解はないのと同じです。まさに人間関係ですね。
昔は周りの大人が注意したり助けたりしていました。しかし、これは周りの人も当事者もお互いによく知っている関係でした。だからこそ気軽に注意したり手助けしたりできたわけです。何が起きているのかをお互いにある程度予想出来ていて、どうすればよいかがわかっていたからこそ手や口を出し合ったわけです。
ところが今は、特に都会ではお互いを全く知らない間柄です。そのような関係で行動を起こすことの方が危険だと感じてしまいます。私なんか相手がどんな人かわからないので何もできません。そして、投稿者のように後でうじうじ悩むことが多いです。

この投稿の状況説明だけでは何が起きているのかはっきりわからないのでどうした方がよかったかの判断は付きません。「親が注意していない」、「みんな邪魔そうに避けている」ということからすると、親も投稿者を含む周りの人も何もしていないことだけは確かなようです。みんながもめ事に関わりたくない、関わることでもめ事を増やしたくないと感じていたことは確かでしょう。
現代は、個人を尊重するということで個人主義になりました。個人は自由に行動していいことになっています。しかし、このような状況を見ると価値観が確立できていない個人の集まりができてしまったと思います。価値観の共有もできていません。権利も義務も理解できたいません。そのためか人間関係も小さなものから大きなトラブルまで多く発生しているように感じます。そのうち、細かな行動まで法律で決められることになるかもしれませんね。