一時あぶない状態だった梅吉も何とか危機を脱して自分でご飯を食べられるようになったわよ✨

あーちゃんもガリガリながら生きているわ😄

水便が続いていたノエルも原因がわかり元気になりました❗️


シャンプーしたて。


診断しても腫瘍はなく、痛みもない。

多分だが、蒸し暑い日が続き部屋の中の温度と外気の差があるなか散歩を長くしたのが原因かも?と。

朝は五時半、夜は九時に散歩をしていたのだが
それでも蒸し暑かった💧

朝30分、夜30分に散歩の時間をしましたところ
少しずつ改善して行きました。

生き物の身体は繊細ね。



私達って、「一人でも生きていける」  「自分の力で自分の頑張りでここまで来た」って思う時あるじゃない?ない?

わたくしはあったのよ。

大馬鹿者だわよね。

東井 義雄さんっていう先生の講演集の中の
ある小学1年生の作文を読んだの。





おかあさん、おかあさん」

 

ぼくがいくらよんでもへんじをしてくれないのです。

 

あのやさしいおかあさんは、もうぼくのそばにはいないのです。

 

 

きょねんの十二月八日に、かまくらのびょういんで、 ながいびょうきでなくなったのです。 

 

いまぼくは、たのしみにしていたしょうがく一ねんせいになり、まい日げんきにがっこうにかよっています。 

 

あたらしいようふく、ぼうし、ランドセル、くつで、りっぱな一ねんせいを、おかあさんにみせたいとおもいます。

 

ぼくはあかんぼうのとき、おとうさんをなくしたので、 きょうだいもなく、おかあさんとふたりきりでした。 

 

そのおかあさんまでが、ぼくだけひとりおいて、 おとうさんのいるおはかへいってしまったのです。 

 

 

いまは、おじさんおばさんのうちにいます。 

 

まい日がっこうへいくまえに、おかあさんのいるぶつだんにむかって、「いってまいります」をするので、おかあさんがすぐそばにいるようなきがします。 

 

べんきょうをよくしておりこうになり、 おとうさんおかあさんによろこんでもらえるようなよいこになります。 

 

 

でも、がっこうでせんせいが、おとうさんおかあさんのおはなしをなさると、ぼくはさびしくってたまりません。 

 

でも、ぼくにもおかあさんはあります。

 

いつもぼくのむねの中にいて、ぼくのことをみています。 

 

 

ぼくのだいすきなおかあちゃんは、 おとなりのミイぼうちゃんや、ヨッちゃんのおかあさんより、一ばん一ばんよいおかあさんだとおもいます。

 

おかあさん、ぼくはりっぱなひとになりますから、いつまでもいつまでも、ぼくのむねの中からどっこへもいかずにみていてください。






私は一人立ちするまで両親に当たり前に面倒を見てもらって来たが、それは当たり前な事じゃなかったんだなー。

これって、奇跡みたいな事だったんだなーって思う。

奇跡って、毎日の中に溢れているんだな~って。


知的障害を持った中学生の詩。

わたしは一本のローソクです
もえつきてしまうまでに  なにか一ついいことがしたい
人のこころに  よろこびのともしびを ともしてから死にたい



わたくしは愚か者なので、こういうものに出会わないと自分を省りみられない。


他人に審判を下さず、親切にしたいと思う。





朝起きたらこんなだった。


怒らずに笑顔で掃除をしよう  💢