ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 

 政府の景気対策がショボ過ぎて泣きたい。岸田首相は選挙前、最初は所得倍増と分配を掲げていたのに、すぐにトーンダウン。選挙後は「やっている感」を出すための経済対策を、ちまちまとセコく発表している。

 

 総額55兆円と聞けば「すごい!」と思いがちだが、中身をよく見ると、効果が期待できない中途半端なものばかり。財務省の「どケチ」ぶりには驚く。税金はどんどん上げたい、でも給付金は絶対に出したくないのである。

 

 日本政府は、国民への一律給付金10万円を1回給付しただけだ。いわゆる先進国を見わたしても、こんなにケチな政府は他にない。日本はもう、先進国とは言えない状況である。

 

 今回も18歳以下限定ということを聞いて、私は衝撃を受けた。しかも、半分はマインポイントだというから声もない。その上、保険証と一体化すれば7500ポイント、銀行口座と紐づければ、残りの7500ポイントを付与するというのである。

 

 これは一国の政府が考えることではない。村の議会が考えるレベルの話だ。これが海外で報道されないことを祈る。世界の笑い物になるからだ。学校秀才であるはずの岸田首相が、ここまで愚かだとは。

 

 マイナンバーカードにはすでに、巨大な利権が生じている。発行や手続きに業者が関わり、そこに莫大な経費を支払うのである。これが日本経済を衰退させている、有名な「中抜き」だ。パソナなどの人材派遣業者が深く関わっている。

 

 日本最大の人材派遣会社パソナは、小泉政権以降、会長の竹中平蔵が政府の審議会や有識者会議などに深く入り込み、巨大な利益を得てきた。コロナ禍で利益が1千倍になったというから、すさまじい。

 

 当初、岸田首相は自民党の総裁選に出馬した時、そうした新自由主義路線から転換を図ると言っていた。それが、政権発足後に乱立させた各種会議に、ちゃんと竹中平蔵が入っているのだから私は仰天した。

 

 竹中平蔵は様々な迷言を乱発している。中でも最も有名なのは「若者には貧乏になる自由がある」という言葉だ。これぞ、全てを自己責任にする新自由主義の真骨頂だ。冷酷で軽薄で何もわかっていない。人生は8割が運不運なのである。

 

 マイナンバーカードで集めた個人情報は、それを喉から手が出るほど欲しがっている民間事業者、例えば通信会社や小売業者に流れる可能性が高い。

 

 つまり、ポイント欲しさにカードを作ったら最後、生涯にわたって個人情報を提供しつづけるのである。せめて、銀行口座との紐付けだけはしないことをお勧めする。

 

 さて、そんなセコい18歳以下の給付金に所得制限を設けるという点が、さらなる議論を呼んでいる。しかも世帯収入ではなく世帯主の収入だとか、もはや何がなんだかわからない。

 

 一つ確かなのは、こうしたチマチマしたケチな政策が、社会の分断を生んでいるということだ。18歳以下というだけで失望と不満が渦巻いているのに、世帯収入や980万円という基準が、さらに分断を広げた。

 

 もしかして国民を分断したいのか。だとしたら大成功だ。結婚しているかどうか、子どもがいるかどうか、共働きかどうか、そして年収がいくらかという問題をめぐって社会は四分五裂で、めちゃくちゃに分断されている。

 

 そこに「年収1千万でも生活が苦しい」という声が出て、そこに「こっちは350万で暮らしているのに、一体どういう生活をしているのか」という非難の声が上がっている。本来は政府に向けるべき批判を、お互いに向けているのだ。残念である。

 

 ところで、年収1千万でも生活が苦しいというのは本当か。かつてそうだった私に言わせると、本当である。娘達が10代だった頃、うちはまさにそういう家庭だった。そしていつもお金が足りなかった。

 

 最大の理由は、教育にお金をかけたからである。やはり、子どもにはいい教育を受けさせたい。私は二人の娘たちを、幼稚園から大学まで私立に通わせた。幼稚園は熟考の結果、モンテッソーリスクールに。当時は支援が手薄だったし、未認可だったので高額だった。

 

 小学校からは二人とも音大の附属に通った。これがまた、やたらにお金がかかる選択だったのだ。授業料だけでは済まないのである。学校レッスンの他にホームレッスンがある。先生のコンサートがあると花束を持っていく。お花は高い。

 

 発表会では衣装代がかかる。同級生は皆お金持ちで、母親も音大を出たという人も多い。家にグランドピアノが2台あったり、5階建ての家に住んでいたり。だから毎回衣装を仕立てるが、当方は中流層だからレンタル。それでも2万円はかかる。

 

 楽譜も高い。授業で使う10ページぐらいの薄いピアノピースも、ドイツからの輸入物でなくてはいけない。銀座の山野楽器まで買いにいくのだが、六千円ぐらいして卒倒しそうだった。そしてやめておけばいいのに、銀座に来たんだからお茶でも飲もうという話になる。娘たちも、それを楽しみにしていた。

 

 全般に金持ちが多いため、食事会は帝国ホテルでランチバイキング。さすがに年に1、2回だし、こんな時でないと行かないので参加。全てが美味しくて、倒れるまで食べた。万事がこの調子なのである。

 

 もちろん、うちと同じような中流家庭の子もいる。埼玉の団地に暮らしながら、朝の5時台に家を出て通ってくる子もいた。結婚10年目にできた一人っ子で、両親はその子のためには何でもしてあげたいという感じだった。そのせいかワガママな子だった。

 

 また、父親の強い願望で入学してきた子もいた。姉妹二人とも通っていて、母親はそのためにパートに出ていた。一ヶ月に一回は、一家でサントリーホールなどのクラシックコンサートに行く。そしてグランドピアノまで購入した。

 

 その父親はいつも不機嫌そうな顔をしていた。一度、大手町でその父親を見たことがある。つまらなそうな顔をして、カバンを振り回しながら歩いていた。子どもが音楽学校に通い、一家でクラシックコンサートに行くような家庭が、その父親の理想だったらしい。

 

 上の子はうちの長女と、下の子は次女と同級生だった。そして、上の子は結局システムエンジニアになり、父親とは絶縁状態になっている。4人のうち誰も音楽関係の仕事には就いてない。音楽の仕事で生活できる人間など、ほとんどいないのである。

 

 でもお金持ちの子は、就職せずに家でピアノを教えて結婚を待つ。うちの場合、長女は自分の才能に見切りをつけ、一浪して一般大学に進んだ。

 

 一般大学を受験したのは開学以来、二人目だということだった。何しろ、高校になると完全な音楽学校で、試験科目は実技の他、ソルフェージュ、ポルカのダンス、和声、リトミックといった内容なのだから。

 

 苦労させてしまったが、東京六大学ピアノ連盟に入って、演奏と学生生活を楽しんでくれたのは幸いだった。その後、就職したものの仕事が合わず、体調を崩して退職。すごく心配したが、そんな長女を気に入った男性が現れて結婚できた。

 

 次女に至っては小学校高学年で音楽を拒否、受験して一貫校に入り、さらに日芸の写真学科に進んでカメラマンになった。湯水のようにお金を使ったため、次女が大学に入学する頃には、すでに金欠状態になっていたのである。

 

 笑うしかない。別に贅沢をしようと思ったわけではないのだが、どうしてそんな無謀なことをしたのか。それは私自身が元お嬢様の母親に、そうやって育てられたからである。

 

 家に伝わる文化というのは恐ろしいものだ。教育にはいくらお金を使っても構わない。そういう文化が我が家には流れているのである。そして今、長女が同じ道を行こうとしている。

 

 ただし、高校までは公立ですると言っているから、私ほどひどいことにはならないだろう。でもゲームやダンスしか趣味のない、何でもスマホで済ませるような人間にならないよう、絵本の読み聞かせや人形劇、影絵などを熱心に見せている姿に、かつての自分が重なって見える。

 

 私も別に、音楽家にしようと思ったわけではない。心豊かで、教養のある人間になってもらいたかっただけだ。それだけは失敗ではなかったと思いたい。長女はトルストイなどを愛読し、社会について深く考える人間になった。

 

 また次女は、日本最高級の写真コンペで二位になり、今度Newsweekに写真が掲載されるぐらいにはなった。しかしカメラマンでは生活できない。不安定なフリーランスで、いつも大変な思いをしている。

 

 娘たちが10代の頃、私たちは毎月、最高の演劇やミュージカルをA席以上の席で観る生活していた。私はシェイクスピアの悲劇が好きで、上演があると必ず娘たちを連れて観に行った、

 

 中でも最も気に入ったのが、モスクワのユーゴザーパド劇場である。来日したら必ず連れていった。夏には必ず、世界最高峰であるロシアやチェコの人形アニメを観に出かけた。今のように動画配信もなかったから、必ず足を運んだのである。

 

 そんな生活をしていたら、お金がなくなるのは当たり前だ。もう本当に笑うしかない。もし年収が少なかったら、そういう生活をしたくてもできなかっただろう。

 

 だが、なまじあったからそうしたのである。そうしか言いようがない。あればそうなるのが人間の常である。しかしお金は常に足りず、私は色々な仕事をした。専業主婦ではなかった。

 

 今思えば、誰かが忠告してくれたら良かったと思うが、母親は私と似たような考えだし、夫は開成から東大へ行った勉強好きなので、やはり教育は大事という考えで私を止めなかった。

 

 夫の家は貧乏だったので、親は開成の授業料を払うために朝、昼、夜中と働いたという。そういう家庭でも開成から東大へ行けた、いい時代だったのである。今はもう無理だ。ちなみに当時の開成は、下町の勉強好きが集まる、地域に根ざした学校だったという。

 

 それに夫は仕事人間で猛烈に忙しく、ほとんど家にいない状態。仕事に熱中し過ぎて、ほぼ過労死のような形で突然、この世を去った。夫もまた家を買うことに関心がなかった。忙し過ぎて考える暇もなかったのだろう。

 

 もともとオタク気質で、お金にも現実的な利害にも出世にも無関心な人間だった。最近はやりのビジネスマンのような東大出ではなく、昔ながらの学校秀才だった。

 

 私は教育環境に恵まれたものの虐待を受けて育ったし、夫は父親のアルコール依存症に悩まされつづけていた。その点と、あまり現実的に物事を考えない気質が共通点だった。

 

 そこで、お金は羽が生えたように消えていったのである。そして夫の死去により、我が家の苦境が始まったのだ。後悔先に立たず。

 

 というわけで年収が1千万あると、つい教育などにお金をかけてしまい、生活が苦しくなるのである。貯金もできなかった。老後の資金について全く考えていなかった。

 

 アホである。ただ、その他のこと、例えば服などを買ったり旅行へ行ったりすることは全くなかった。お金が足りなくて、したくでもできなかったのだ。

 

 ほぼ全てを教育と、教養を身につけることに使ってしまった。何よりも家を買わなかったのである。なぜならお金が足りなかったからである。トホホ。教育か、家を買うかだ。

 

 その過去を私があまりにも嘆くので、長女は「楽しい思い出がたくさんある」と言ってくれるし、次女も「写真のセンスが素晴らしいと褒められる」と言って、慰めてくれる。それが救いと言えば救いだ。

 

 この経験から言えるのは、年収1千万に400万と同じ生活をしろというのは無理だということだ。年収1千万がお金を使うから、経済が回るという側面もある。

 

 例えば舞台のような上演芸術は、年収1千万クラスでないと頻繁には鑑賞できない。私もずいぶん貢献した思う。コロナ渦で上演芸術が瀕死になったのを見て、つくづくそう思った。

 

 だから私は、全国民に一律10万円の給付金を、所得制限なしに支払うのが一番いいと思う。富裕層からは後で税金を取ればいいのである。家計が苦しい層は助かるし、余裕のある層は使って経済を回す。

 

 55兆円も使うなら、あと3回は一律10万円を支給できる。これをバラマキと言って批判してはいけない。財源がないというのは、財務省と御用マスコミの嘘である。

 

 消費税をふんだくっているせいで、毎年過去最高の税収があり、昨年は使いきれなかった。バラマキとは要するに分配のことで、それこそ政治の仕事である。

 

 騙されて批判していると、自分で自分の首を絞めることになる。そもそも我らは、恐ろしいほど過剰に税金を払っている。それが少し戻ってくるだけだ。出し渋る方が悪いのだから。